第一帖(868帖)

この巻は星座の巻、偶然と申すのは宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然では無いぞ、天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、塩コオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、星ほしをコオロコオロにかきならして天を生みあげたのであるぞ

天の水、地の水、水の中の天、水の中の地空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日様ある如く地中にも火球があるぞと申してあろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ごとじゃ


第二帖(869帖)

ナルの仕組みとは成十なるとの経綸しくみであるぞ、八が十になる仕組み、岩戸開く仕組み、今までは中々に分からなかったのであるが、時節が来て岩戸が開けて来たから見当つくであろう、富士ふじと鳴門なるとの仕組み、結構致してくれよ


第三帖(870帖)

神、幽身がみにも聞かせているのぞ、時、時と申してあるが、時間では無いぞ、地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く神も霊人も時間は知らないのであるぞ、ただ喜びがあるのみぞ

神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄やさかえの事であるぞ、トキ待てよ、トキ違えるで無いぞ、地上人の時間と区別して考えねばこの神示は解わからんぞ


第四帖(871帖)

人民もの言えん事になると申してあったこと近くなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致いたすのでない、人民自身で致すこと分かって来るぞ、人民の学や智では何とも判断出来ん事になるぞ、右往左往しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ

分からんでも分かった顔せねばならん時が来たぞ、ウソの上塗うわぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げと言うことに世界が行き詰まって、神のハタラキが現われるのであるぞ、日本人びっくりじゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな

身体中、黄金こがねに光っているのが、国常立大神のある活動の時の御姿ぞ、白金しろかねは豊雲野大神であるぞ、今の科学では分からん、一万年や三万年の人間の地上的学では分からん事、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、分からん事がいよいよ分からん事になったであろうが、元の元の元の神の申す事よく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸は開けんぞ


第五帖(872帖)

悪の仕組み通り、悪平等、悪公平の選挙で選び出すのだから、出るものは悪に決まっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用はたらきであるなれど、悪が表に出ること相成あいならん


第六帖(873帖)

人民と申すものは生命いのちが短いから、気が短いから、仕組みが少しでも遅れるとこの神は駄目じゃ、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立て替えであるから、少し位の遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からじゃ、遅れても文句を申すが、早くなってもまた文句を申すぞ、分からんと申すものは恐ろしいものであるぞ


第七帖(874帖)

この世を造った太神おおかみの神示ふでぞ、一分いちぶ一厘いちりん違わん事ばかり、後になって気が付いてもその時では遅い遅い、この神は現在も尚なお太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理どうり分かって下されよ、世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈搏みゃくはくするのみぞ、変化するのみぞ、ぐるぐる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこの事ぞ


第八帖(875帖)

人民一度死んで下されよ、死んで生きて下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今までの衣ころもを脱いで下されと申してあろう、世が変わると申してあろう、地上界の総すべてが変わるのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、タテカエ、タテナオシ過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相であるぞ


第九帖(876帖)

白と黒を交ぜ合わせると灰色となる常識はもう役に立たんぞ、白黒交ぜると鉛なまりとなり鉄となり銅となるぞ、更に銀となり黄金となるぞ、これがミロクの世のあり方ぞ、五と五では動きとれん、そなたの足許あしもとに来るべき世界は既に芽生えているでないか


第十帖(877帖)

世の元は〇であるぞ、世の末も〇であるぞ、〇から〇に弥栄するが、その動きは左廻りと右廻りであるぞと申してあろう、その中心に動かぬ動きがあるぞ

何もかも人民まで変わるのが今度の大立て替え、食物も、衣類も、住居も皆変わるぞと申している時が来ているのぞ、いつまでチョンマゲを頭に乗せているのか、ケンビキ今一度痛くなるぞ、そのケンビキ今度は東の方じゃ


第十一帖(878帖)

自由も共産も共倒れ、岩戸が開けたのであるから元の元の元のキの道でなくては、玉たまの道でなくては立っては行かん、動かん二二ふじの仕組み、ひらけて渦巻く鳴門じゃ、新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらいて二度と無い光透ことでひらく仕組み


第十二帖(879帖)

地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでない、霊界の山川が誠ぞ、地上はその誠の写しであり、コトであるぞ、マが霊界じゃ

地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としている、互いに入れかわって交わっているのぞ、このこと分かれば来るべき世界が半霊半物、四次元の高度の影ない嬉し嬉しの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元おおもとの道にかえり、歩まねばならん、今までの様な物質ではない物質の世となるのであるぞ


第十三帖(880帖)

父のみ拝おがみ称えただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳を頂かねば、正しく生長出来ないのであるぞ、一神として拝んでも足りぬ、二でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を拝まねばならん、マイナスの神とは母のことじゃ、天に座します父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎はん、地即天、天即地から表即裏である、誠を行じて下されよ


第十四帖(881帖)

目から泥を洗い去ると見えて来るぞ、右の目ばかりでならん、左の目の泥も落とせよ、泥の付いていない人民一人もいないぞ、泥落とすには水が良いぞ、世の元からの真清水ましみずで洗い流して下されよ、世の元の元の元の真清水結構


第十五帖(882帖)

十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士じゃ、真理じゃ、また三であるぞ、今までは四本指八本指で物事を計って誤り無かったのであるが、岩戸が開けたから親指が現われて、五本十本となったのじゃ、この事よくわきまえよ


第十六帖(883帖)

偽の愛、偽の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現われを見ても見えないのであるぞ、目を閉じ耳に蓋ふたをしているからぞ、今の人民よ、学者よ、金持ちよ、早く考え方を変えねば間に合わん、心の窓早くひらけよ


第十七帖(884帖)

土のまんじゅうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土だと知らせてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血であるぞ、素盞鳴命すさなるのみこと様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮を脱ぐ、それが地変ちへんであるぞ


第十八帖(885帖)

天人が人民に語る時は人民の中に来て、その人民の持つ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同志の文字は数字が多いぞ

夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題に混ぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言


第十九帖(886帖)

人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今までの様にものを言わなくなり誠の世となるぞ、天人の言葉は誠であるから只ただ一言で万語を伝え得るぞ、言葉の生命いのちは愛であり真であるから、真愛しんあいから発しない言葉は誠の言葉ではないぞ

子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのじゃ、今の人民のは言葉で無いぞ、日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ことだまぞ、数霊かずたまと共に弥栄ゆく仕組み


第二十帖(887帖)

人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊ことだまするぞ、神も応え給たもうのであるぞ、始めの言葉の元があるぞ、ムムムムムウウウウウ・・・・アと現われるぞ、神の現われであるぞ、言葉は神を称たたえるものぞ、誠を伝えるものぞ、倶ともに鳴り、倶に栄えるものぞ


第二十一帖(888帖)

言葉は生れ出るものじゃ、先ず言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、また音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ、神に通じればこそ愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜び無きものは芸術でないぞ、今の芸術は死の芸術、魔の芸術


第二十二帖(889帖)

アとオとウとは天人の言葉ことば、人民に与えられた元の言葉であるぞ、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ、十柱の子みこと交わって五十神と現われるのじゃ、故ゆえに五十神の中の三十二神は新しく生まれるのじゃ、更に二十七神とはたらき、又また二十五有法うほうとはたらくぞ


第二十三帖(890帖)

二二の二の五つの今あけてよろず因縁いんねん出づる時来ぬ、天の理みちが地に現われる時が岩戸開けぞ、日本の国が甘露かんろ(※恵みを授かる所)じゃ


第二十四帖(891帖)

歓喜に裁さばきの無いごとく、神には裁き無し、裁きを説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分を裁いていること、人民に罪なし

手長手伸堅磐常磐たながたのしかきはに祝う御代なる、生井栄井津長井阿須波比支いくいさかいつながいあすはいきたたえましを

そこつ岩根千木いわねちぎいわ高く瑞みずの御舎みあらか四方よもの御門みかど五方いつもとひらき宇都幣帛うづみてくら

御巫かんなぎの辞ことおえまつる生足御国いくたるみくに塩沫しおなわの留まる限り皇国みくに栄ゆ

海原うなばらの辺にも沖おきにも神かむつまります、天の壁地くにの退立そぎたつ極み手伸たのしき八十綱やそつなを百綱ももつなとかけてささし