第七十六帖(586帖)

真理を知って、良くならなかったらよく省みよ、良くなるのが誠であるぞ、悪くなったら心せねばならん

善人が苦しむ事あるぞ、よく考えて見ぃ長い目で見て良くしようとするのが神の心ぞ、目の前のお蔭で無く永遠の立場から良くなるお陰が誠のお陰、神徳は重いから腰ふらつかん様にして下されよ、その代わり貫いて下されたら、永遠とわにしぼまぬ九の花となるぞ、二二ふじに九どっと咲くぞ

柏手かしわでは清めであるが神様との約束固めでもあるぞ、約束違たがえるでないぞ


第七十七帖(587帖)

不二の仕組みとは動かん真理、のナルトの仕組みとは、弥栄の限りなき愛の事であるぞ、神の道に入り、道を踏んでおれば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ

世の元から出来ているミタマの建て直しであるから、一人の改心でも中々であると申しているのに、ぐずぐずしていると間に合わん、気の毒出来るぞ、めぐりと申すのは自分のしたことが自分に廻って来る事であるぞ、めぐりは自分でつくるのであるぞ、他を恨んではならん

美の門から神を知るのが誰にでも分かる一番の道であるぞ、芸術から神の道に入るのは誰にでもできる、この道理わかるであろうが、裁きの庭に出たならば、世界は一人の王となるぞ、御出まし近くなったぞ

自分良くしてくれと申しているが、それは神を小使いに思っているからぞ、大きくなれよ


第七十八帖(588帖)

悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、悪では続かんから早く善に帰れと申すのぞ

先祖は肉体人を土台として修業するぞ、めぐりだけの業をせねばならん


第七十九帖(589帖)

心を入れ替え、奥山へ参って、その場で荷物を持たすようになるから、ミタマを十分磨いておいて下されよ、神が力添えするからどんな見事な御用でも出来るのであるぞ


第八十帖(590帖)

欲が深いから先が見えんのじゃ

悪神よ、今までは思う通りに始めの仕組み通りにやれたなれど、もう悪のきかん時節が来たのであるから、早く善に立ち返って下されよ、善の神まで巻き入れてのし放題、これで不足はもうあるまいぞや

いくら信仰しても借銭かりぜになくなるまでは苦しまねばならん、途中でへこたれんように命がけで信仰せねば、借銭なし難しいぞ、途中で変わる紫陽花あじさいでは御用難しいぞ


第八十一帖(591帖)

心に凸凹あるから幽界のものに取り憑かれてつまらん事になるのぞ、つまらん事をひろめて亡びるぞ


第八十二帖(592帖)

いよいよとなってから、助けてくれと走り込んでもその時では遅いから、間に合わんから、早く神の心悟れと申してあるのぞ

笑いのない教えにして下さるなよ、学問や金を頼っているうちはまだまだ改心出来ないぞ、今までの宗教の力でもどうにもならん掃除が目の前に来ているぞ、神の力を頼るより他に道ないことまだ分からんか、中ほどまで進むと分からんことあるぞ、神の試練しれん気つけてくれよ

どちらの国も見当取れんことになるぞ、腹立つのはめぐりあるからぞ、善で続くか悪で続くか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代続くか、得心とくしん行くまで致させてあったが、もう悪では続かんことが悪神にも分かって来るのであるから、今しばらくのゴタゴタであるぞ

ものの調和が分かれば正しき霊覚れいかくが生まれるぞ、神の姿が映ってくるぞ


第八十三帖(593帖)

光る誠の行ぎょうをさせたら、皆逃げてしまうから、ここまで甘くして引っ張って来たなれど、もう甘く出来んから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行うから、お手柄けっこうに、フンドシ締めて下されよ

この世は神の国の映しであるのに、幽界から移って来たものの自由にさせられて今の体裁ていさいこの世は幽界同様になっているぞ、地くには九二くにのやり方せねば治まらん、早く気づいた人民から救いの舟を出して下されよ、これと信じたら任せきれよ

損も良いぞ、病気も良いぞ、怪我も良いぞ、それによってめぐり取って頂くのぞ、めぐり無くなれば日本晴れぞ、今がその借銭済ましぞ、世界のめぐりは大きいぞ

真理は霊、芸術は体であるぞ、正しき芸術から神の道に入るのも良いぞ、説くのも良いぞ、芸術の行き詰まりは真理が無いからぞ、芸術は調和、七つの花が八つに咲くぞ


第八十四帖(594帖)

神は人民に改心させて、世の立て替え建て直し致そうと思ったのであるが、曇りがあまりにひどいから、どんなびっくりが出るか、もう神も堪忍袋かんにんぶくろの緒切れたぞ

人が恨みや怒りを持つとその持ち物までが争うことになるぞ、早く気持ちから洗濯して下されよ、死んでも続くぞ、結構に始末せねばならん

上に立つ者、余計に働かねばならん時来ているぞ、いくら古くから信心していると申しても、肝心かんじんが分かっておらんと何もならん、良い御用はできん

想念の自由とは神に向上するより上のより良き方に進む自由であるぞ、どの世界の人民も自由持つ


第八十五帖(595帖)

裏の仕組に・入れると表の仕組となり、表の仕組に〇入れると裏のお役となるなり、・抜けば悪のやり方となるのじゃ、どの仕組みも分かっておらんと三千世界の先々まで分かっておらんと、何ごとも成就せんぞ

神界の乱れはイロからじゃと申してあろう、男女関係が世の乱れのモトであるぞ、お互いの魂のやりとりであるぞ、この世ばかりでなく、あの世まで続くのであるから、くどく気つけておくぞ

コトはモノになる、悪いコトすれば悪いモノ生まれてきて、生まれ故郷に食いついて悪くする、善いことも同様ぞ

因縁のある身魂みたまが集まってきて、人の出来ない辛抱して、世界の建て替え建て直しの御用いたすのであるから、浮いた心で参ってきてもお役に立たん、邪魔ばかりじゃ

因縁の身魂はどんなに苦しくても心は春じゃ、心勇まん者は、神示読んで馬鹿らしいと思う者は遠慮えんりょらんからさっさと帰って下されよ、神はもう、機嫌きげん取りは御免じゃ


第八十六帖(596帖)

一分一厘、力一杯、違わんこと書かしてあるのじゃ、色眼鏡で見るから違ったことに見えるのじゃ、神示ふでを嘘じゃと申す様になるのぞ、眼鏡外して、落ち着いて見て、ハラで見て下されよ、世の先々のことまではっきりと映るぞ

そなたの心の中にいる獣けだものに言こと向けねばならん、善きに導かねばならん、一生かかってもよいぞ、それが天国に行く鍵かぎであるぞ、誠の改心であるぞ

智慧と、愛が主の座に居らねばならん、物は愛から生まれるぞ、ウムものが基じゃ、生まれるものはナルのじゃ、ナルには智慧でなるのじゃぞ


第八十七帖(597帖)

誠に改心が出来たと神が見届けたら、今度はこの世はもとより、何の心配もない様に守って肉体、顔まで変えてやるぞ

宿命と運命は同じでない、磨けばどんなにでも光るぞ、放っておいても神に背く者は自滅して行き、従う者は弥栄えていくぞ、そこに神の働きあるぞ、よく悟って下されよ

人間の処理方法と神の処理方法と、解け合わせねばならん、急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なうぞ、ありとあらゆるもの、何でもかんでも天地の御用持っているのぞ、そのものの勝手な道は許さんぞ

大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ、大きな生命の中にこそ、小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ、分かりたか


第八十八帖(598帖)

日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスじゃ、分け隔てするのは神の心でないと申す人民たくさんあるが、世界は一平じゃと申して同じ事じゃ

同じ神の子じゃと申しているが、頭は頭、手は手、足は足と申してあろうが、同じ事であって同じでないぞ、悪平等は悪平等ぞ、世界丸潰つぶれの企たくらみぞ、この道理よく心得なされよ

全てのものを先ず感受せよ、その後に感謝せよ、感謝すれば弥栄えるぞ


第八十九帖(599帖)

喜びは神から流れ、愛から流れ出るのであるが、愛そのもの善そのものではない、生命であるぞ、生命であるが生命の本体ではないぞ、天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ

そのキは時代によって変わってくる、その時のキが、その時の誠の姿であるぞ、それに合わんものは滅んでしまうぞ、火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、叩いたり、カ・ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理じゃ


第九十帖(600帖)

世界中がいくら集まって、善き世に致す相談致しても、肝腎かんじん が分からんから纏まとまりつかん、誰一人、悪いわがままの癖くせ持たん人間ないぞ、その癖を直して行くのが、皮むくことじゃ、改心じゃ、弥栄行くことじゃ

金持つと金の地獄に、理屈持つと理屈の地獄に、神に捉われると神の地獄に落ちて苦しむぞ、持たねばならんし、中々じゃなぁ、まず求めよ、捨てて求めよ、求めねばならん、求めて行ぎょうぜよ


第九十一帖(601帖)

愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ、たてよこであるぞ、二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組み、経たてのみでならん、緯よこのみでもならん

この世に生まれてはこの世の御用、この世の行ぎょうしなければならん道理、この世に生まれてこの世の行しなければ、生まれた時より悪くなるぞ、草木より役に立たん者となるぞ、草木に変えると申してあろう、神が変えるのでない、自分でなり下がるのであるぞ、分かったか


第九十二帖(602帖)

つつましく正しくして行けば、その国々で一切不足なく暮らして行ける様に、何もかも与えてあるに気づかんのか、天災地変は人間の心のままと申してあろう、豊作凶作も心のままぞ

今のままで行けばどうなるか誰にも分からんであろうが、神示通りに出てくることをまだ疑っているのか、ひつくの民みつくの民あると申してあろう、ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受ける、愛に受けるとただちに血となり、智に受けるとただち神経と和してしまうのであるぞ、二つの民の流れ


第九十三帖(603帖)

そなたが神を掴つかめば神はそなたを抱くぞ、神に抱かれたそなたは平面から立体のそなたになるぞ、そなたが有限から無限になるぞ、神人かみひととなるのじゃ、永遠の自分になるのであるぞ

他のために行ぜよ、神は無理申さん、始めは子のためでもよい、親のためでも良い、自分以外の者のためにまず行ぜよ、奉仕せよ、嬉し嬉しの光差しそめるぞ、はじめの世界ひらけるぞ、一本足では立てん、二本足が良いぞ、やがては明ける二三ふみの朝、二二ふじは晴れたり日本晴れ


第九十四帖(604帖)

落ちていた神々様が元へお帰りなさらねばこの世は治まらんのであるぞ、一人一人ではいくら力ありなされても物事成就せんぞ、それは地獄の悪のやり方、一人一人は力弱くても一つに和して下されよ、二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出るぞ、それが天国の誠のやり方、善のやり方、善人、千人力のやり方ぞ

誰でも死んでから地獄へ行かん、地獄は無いのであるから行けん道理じゃなぁ、曲がって世界を見るから、大取り違うから曲がった世界をつくり出して自分で苦しむのじゃ、そこに幽界が出来るのじゃ、あってなき世界、あってはならん


第九十五帖(605帖)

四季はめぐる、めぐる姿はうずであるぞ、は働き、上れば下り、下れば上る

この神示読んだ今が出船でふねの港、神の恵みの時与えられているのじゃ、明日と申さずに実行せよ、明日は永遠に来ないぞ、無いものぞ、今のみがあるのじゃ


第九十六帖(606帖)

ウシトラコンジン様を先ず理解せよ、どんな事でも叶かなえてやるぞ、理解するには理解する心をまず生まねばならん、我よしでは拝めんコンジン様ぞ、天地全てのもの、生きとし生けるものことごとく、より良くなるように働いているのであるぞ、それが神の心、稜威みいつぞ、弥栄と申すものぞ

その時のその人間のキに相応した神より拝めん、悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのじゃ、悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通じるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神が現われるのじゃ、この道理よく心得よ


第九十七帖(607帖)

生命いのち捨ててかからねば誠の理解には入れん道理、身欲しんよく信心では駄目、生命捨てねば生命に生きられん道理、二道ふたみち二股ふたまた多いと申してあろう

ものの文明、悪しざまに申す宗教は滅びる、文明も神の働きから生まれたものじゃ、悪も神の御働きと申すもの、あく憎むこと悪じゃ、善を憎むよりなお悪い、何故に分からんのか

弥栄と言う事は、歩一歩づつ喜び増して行くことぞ、喜びの裏の苦に捉われるから分からんことに苦しむのじゃ、苦と楽共に見てよと申してあろう、偶然の真理、早く悟れよ


第九十八帖(608帖)

大切なもの一切は神が人間に与えてあるでないか、人間はそれを処理するだけで良いのであるぞ、何故に生活にあくせくするのじゃ、悠々ゆうゆう天地と共に天地に歩め、嬉し嬉しぞ

一日が千日と申してあろう、神を知る前と、神を知ってからとの事を申してあるのぞ、神を知っての一日は知らぬ千日よりも尊い、始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん

止まると悪となるぞ、動き働いて行かねばならん、善と悪との動きを心得なされよ、悪は悪ならず、悪あく憎むが悪、神の道は弥栄えぞ


第九十九帖(609帖)

内にあるもの変えれば、外から映るもの響いて来るものが変わって来るぞ、内が外へ、外が内へ響くのじゃ

妻に任せききった夫、夫に任せきった妻の姿となれよ、信仰の真の道開けるぞ、一皮ひとかわむけるぞ、岩戸開けるぞ、不二ふじ晴れるぞ


第百帖(610帖)

真理を理解しておれば心配いらん、失敗も財産ぞ、真剣で求めると真剣を授かるぞ、求めるとは祈ること、よく祈る者はよく与えられる、日々の祈りは行であるぞ、けっこうに致してくれよ

百年祈り続けても祈りだけでは何もならん、それは祈り地獄じゃ、祈り地獄多いのう、肉体人は肉体の行もせねばならん、次の祈りは省みることぞ、いくら祈り行じても自分省みねば、千年行じても何もならん道理じゃ

同じ山に登ったり降りたりは御苦労なこと、それは馬鹿の散歩と申すもの、悔い改めよと申してあろう、省みて行じるその祈り弥栄えるぞ、平面の上でいくら働いてももがいても平面行為で有限ぞ、立体に入らねばならん、無限に生命いのちせねばならん

立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん、一から二に、二から三にと次々に進めねばならん、進めば進むほど、始めに帰るぞ、 ・に至るぞ、立体に入るとは誠の理解りかい生活に入る事ぞ、無限に解けいることぞ、岩戸開ければ二二ふじ輝くぞ、弥栄、弥栄