第三十帖(686帖)

宇宙のすべてが繋がりであるぞ、石でも水でも草でも木でも動物でもすべてが繋がりじゃ、手と足の様なもんじゃ、拝おろがみ合えよ、親しみ合えよ、和せよ、和すと自分となるのじゃぞ、自分大きく、明るくなるのじゃ、豊かにうれしうれしじゃ

赤いものの中にいると赤くなって行く、理みちに向かっていると、いつの間にか神の気頂くぞ、神の光が頂けるのじゃ、二度三度、話聞いたり、拝んだりしたくらいで理は分からん、神は解わからん、体験せねばならん、一方的では何事も成就せん、もちつもたれつであると申してあろう


第三十一帖(687帖)

今の自分の環境がどんなであろうとそれは事実であるぞ、境遇に不足申すなよ、現在を足場として境遇を美化し、善化して進め、そこにこそ神の光、喜び現われるのじゃ、逃げ道つくれば迷いの道に入るぞ、楽に得たもの、楽に失う


第三十二帖(688帖)

信仰の始めは感情に支配されがちじゃ、理智りちを強く働かせねばならんぞ、人間は絶えず穢けがれて来る、穢れは清めることによって、あらたまる、厄祓いせよ、福祓いせよ

想念は永遠にはたらくから、悪あく想念は早く清算しなければならんぞ、中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ、残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業しょぎょうを繰り返すことあるぞ、早く洗濯せよと申してあろうがな

梅の木から梅が生えるのじゃ、その梅に実出来て又梅が生えるのじゃ、人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪い癖は直らんもんじゃぞ、それを少しずつ直してかからねばならん、努力次第で漸次ぜんじ直るのじゃぞ、宗教は霊、芸術は体ぞ


第三十三帖(689帖)

新玉の真珠の波も 草も木も 春立ちそめてよみがえりけり

今の科学は科学のことは分かるが、それより上の事は分からん、今の科学はあるものがあると云うことだけしか分からんのじゃ

よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活生まれる、間違った求めには間違った神、間違った生活生まれるぞ、道理じゃナァ

窮屈きゅうくつであってはならん、しかつめらしく固くなっていてはならんぞ、笑いの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのじゃ、宿命は宿されたもの、一つのワクに入っているのであるぞ、運命は自分で切りひらく事出来るぞ、磨け磨け、ミタマ磨き結構、信念だけでは行き詰まるぞ


第三十四帖(690帖)

自分は自分の意志で生まれたのではないのじゃ、その時、その環境を無視出来ん、その法則に従わねばならん、草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神じゃ、食物拝めば食物が神となる、心せよ

神は人民を根本から永遠の意味で良くしようと、マコトの喜び与え様ようとしているのじゃ、局部的、瞬間的に見て分からんこと多いぞ、お蔭かげはすぐには無いものと思え、すぐのお蔭は下級霊、眉に唾せよ、考えよ

現在の環境を甘受かんじゅせよと申してあるが、甘受だけでは足らん、それに感謝せよ、積極的に感謝し、天地の恩に報ほうじねばならん、誠の真理を知らぬ人間に神は分からん


第三十五帖(691帖)

念じつつやれ、神の為と念じつつやれば神の為めとなる、小さい行為でも霊的には大きはたらきするのじゃ

自分と言うことが強くなるから発展無いのじゃ、行き止まるのじゃ、我よしとなるのじゃ、調和が神の現われであるぞ、霊と調和せよ、肉体と調和せよ、人と調和せよ、食物、住居と調和せよ、世界と調和せよ、嬉し嬉しぞ、一生かかってもよいぞ、遅く無いのじゃ

自分の中の獣けだもののため直しにかからねばならん、悪い癖くせ直さねばならん、これが第一歩、土台じゃぞよ、よきことは人に譲りて人をほめ、人たてるこそ人の人なる、敬愛けいあいのまこと心にまことのり、まこと行う人ぞ人なる、春立つ日、ひつく神


第三十六帖(692帖)

何事に向かっても先ず感謝せよ、ありがたいと思え、始めはマネゴトでもよいぞ、道は感謝からぞ、結構と思え、幸いと思え、そこに神の力加わるぞ

不足申せば不足うつるぞ、心のままとくどく申してあろうが、病気でないと思え、弥栄と思え、病治るモト生まれるぞ、キがもとぞ、何事来るとも何クソと思え、神の力加わるぞ、恐れは恐れ生むぞと申してあろうが

一聞いて十さとらねばならんぞ、今の人民には何事も平面的に説かねば分からんし、平面的では立体の事、次元の違う事は分からんし、ハラでさとって下されよと申してあろう


第三十七帖(693帖)

相手八と出たら二と受けよ、人民と申す者はモノに囚われるから、何事も分からんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして分からんことになるぞ、十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ、また十二と受ける手もあるぞ、二十と出たら八十と和せよ、立体になればそれだけ自由になるのぞ、世界広くなるのぞ、早く立体さとってくれよ


第三十八帖(694帖)

「・」の次にがあり、その次にがあり、あると申してあろう、立体から複立体、複々立体、立立体と申してあろうが、×と÷と和せばとなるぞ、複立体であるぞ、が複々立体、「・」が立立体ぞ、⦿がその元であるぞ、分かったか

⦿となれば超自由、超自在、超無限ぞ、それだけにまた超完成であるぞ、超未完成でもあるぞ、神は全智全能から超全智全能に弥栄しているぞ、難しい様なれど、この事よく分かって下されよ、新しき段階に入る門ぞ


第三十九帖(695帖)

道は三つと申してあろう、三とは参であるぞ、3でないぞと申してあろう、無限であるぞ

平面的に申せば右と左とだけでないぞ、その右の外にまた左の外に道でなき道あるぞ、それを善の外道、悪の外道と申す、外道が多いのう

中の中には中の道あるぞ、中の中の「・」は無であるから動き無いぞ、動き無いから無限の動きじゃ、その「・」の外の中は人民にも動き見えるぞ、この道は中行く道だと申してあろうが、中の「・」の道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道じゃ、分かったか


第四十帖(696帖)

思想と申すのは広い意味で太神から出ているのではあるが、幽界からの力が強く加わっているのじゃ、念と申すのは神界からの直々であるぞ、悪の気を断たねばネンとはならんぞ


第四十一帖(697帖)

天には天の道、地には地の道人民には人民の道があると申してあろう、同じ道であるが違うのぞ、地にうつし、人民にうつす時には地の約束、人民の約束に従うのぞ、約束は神でも破れんのであるぞ

次元が違うのであるから違って来るぞ、違うのが真実であるぞ、それを同じに説いたのが悪の教え、同じと思うのが悪の考え方であるぞ、上から来るものは光となって流れて来るのぞ、光に本来影は無いのであるが動くから影がうまれる、それを影でない影と申すぞ、悪でない悪あると申してあろうがな

天には天の自由、地には地の自由神には神の人民には人民の動物には動物のそれぞれの自由あるぞ、その性の高さ、清さ、大きさなどによってそれぞれの制限された自由あるぞ、自由あればこそ動くぞ、自由とは弥栄のこと光は神から人民に与えられている、光に向かうから照らされる、光は ・ 、真、善、美、愛となり、またその裏の〇、疑、悪、醜、憎となり現れるぞ、御用の善となり、御用の悪となる

あく憎むは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり人民界の自由の範囲に於ける凹凸おうとつにうつり、それが再び霊界にうつる、それが幽界と申してあろう、その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり外道の悪となるのだ、善にも外道あるぞ、心得よ

光は天のみでなく、地からも人民からもすべて生命あるものから出ているのであるが、その喜びの度たびに正比例してのものであるから小さい生命からの光は分からんのであるぞ


第四十二帖(698帖)

いくさは善にもあり、悪にもあり右には右の、左には左の、上には上の下には下の、中には中の、外には外の戦あるぞ、新しき御代みよが到来しても戦は無くならん、戦も歩みぞ、弥栄ぞじゃと申して、今のような外道の戦でないぞ、人殺しや生命いのち殺すような戦は外道、やればやる程激しくなるぞ、正道の戦いくさは人を生かす戦、やればやる程進むのじゃ、今の人民は戦と申せば人の殺し合いと早合点するが、それは外道の戦いくさ、天国への戦もあるぞ、幽界への戦もあるぞ、人民の言う今の戦、今の武器は人殺す外道の道、それではならんのう

外道は無いのであるから外道なくして下されよ、外道抱き参らせて正道に引き入れて下されよ、外道の武器を捨てよ、外道の武器生かして、活かして命を生かす弥栄の武器とせよ、新しき霊界は神と人と共でつくり出されるのぞ、それは大いなる喜びであるからぞ、神のみ旨むねであるぞ

新しき世は開けているぞ、夜が明ければ闇は無くなるぞ、新しき型かたはこの中からぞ、日本からぞ日本良くならねば世界は良くならん、変えられるでないか


第四十三帖(699帖)

与えよ与えよ与えよ、与える政治と申してあろうが、戦争か平和かと人民申しているなれど道はその二つでないぞ、三が道だとくどく申してあろう、水の外道の武器と火の外道の武器の他に新しき武器気づかんのか、神示よく読めば示してあるのであるぞ、他ほかに道ないと決めてかかるから分からんのだ、生まれ赤児になれば分かるぞ

知らせてやりたいなれど知らせて分かるのでは自分のものとならん、自分が体得し自分から湧き出ねば自分のもので無いぞ、つけ焼き刃は危ない危ない、気狂きぐるいに刃物ぞ、平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな、神人かみひと共に融け合うことぞ、外道でない善と悪と融け合うのぞ、善のみで善ならず、悪のみで悪ならず、外道は夜明け来れば消えてしまうぞ、夜明けの御用大切と申してあろうが、外道の悪あく殺すでないぞ、抱き参らすから消えるのであるぞ


第四十四帖(700帖)

念を入れ代えるぞ、念を入れ代えるとは新しき霊界つくる事ぞ、新しき霊界つくるとは太神の真中に融け入ることぞ


第四十五帖(701帖)

一時は人民無くなるところまで行くと申してあろうが、人民なくなっても人民なくならん、近目で見るから分からん、洗濯して新しき道早く進めよ

遅くなる程難しく苦しくなるぞ、日本の世界開けたりあな爽々すがすがし、日本晴れぞ、二二ふじは晴れたりとは真理の世に出づ事ぞ、天のこと地に写す時は、地の力出る様に地の息吹き通う様に、弥栄する様に念を地の力と現われる様に正しく写移して下されよ、邪気入ってはならん


第四十六帖(702帖)

今の武器は幽界の裏打ちがあるぞ、神界の裏打ちある武器でなくてはならん、まことの武器ぞ、ヒックリであるぞ、念からつくり出せよ、その念のもとをつくれば神から力を与えるから、この世の力と現われるぞ

念の凸凹から出た幽界を抱き参らせねばならんのぞ、中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引き寄せねばならん


第四十七帖(703帖)

念が新しき武器であるぞ、それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど、もの事は順と時あるぞ、元のキから改めて下されよ、尊き御役おやく


第四十八帖(704帖)

念なりと今の人民申す思想は誠の念でないぞ、念とは力であるぞ、実在であるぞ、喜びであるぞ思想は思想ぞ、喜びは神ぞ、弥栄


第四十九帖(705帖)

これぞと思う人があったらその理みちの人に付いて御座ござれよ、一寸先いっすんさき見えん人民じゃ、先達せんだつの後から付いて御座れ、それが一番良い事じゃ

人見い出すこと難しいのう、十年、二十年行ぎょうじても目的めあて違っていたら何にもならんぞ、この方の道へ御座れ、正しき光の道に寄れよ、十日で一月で見違えるほどになるぞ、死んだ気で神示ふでをそなたの身に写せよ、涙流せよ、汗流せ、血流せよ

天災や地変は大き肉体の応急処置の現われであるぞ、部分的に人間苦しめる様に思ってはならん、一日一度は便所へ行かなならんであろうがな、人間この世の五十年を基もととして考えるから分からなくなるのぞ、永遠えいえん弥栄の生命、早く体得たいとく結構


第五十帖(706帖)

その人によってふさわしい行ぎょうがある、誰でも同じでない、一合いちごう食べる人もあれば、一升いっしょう食べる人もあるぞ、身につかん行はいくらしても何もならん、いらん苦労は要らんと申してあろう

風呂には時々入るが魂の風呂に行く人少ないぞ、より高い聖所ところへ参って魂の垢あか落とせよ、神示読んで落として下されよ、垢落とさずに神の光が見えんと申して、お蔭かげ無いと我よし申して御座るなれど、風呂に入らずに垢付くとは怪しからんと申すのと同じでないか、何故に分からんのじゃ

全体の為奉仕するはよいが、自分捨てて全体なく自分ないぞ、全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えるのであるぞ、早合点はやがてん禁物


第五十一帖(707帖)

人民の因縁いんねん性来しょうらいはみな神示に書かせてあるぞ、そなたのこと何もかも一目じゃ、因縁分かって嬉し嬉しで御用ごよう結構、嬉し恐ろしくなる仕組み


第五十二帖(708帖)

理屈は要らん、誠の光の道に行き、進めよここぞと見極めたら理解に向かってひたすら進まねばならん、宇宙はこの方の中にあるのじゃ、この方じゃ

世が段々迫って悪くなる様に申しているが、それは局部的のこと大局たいきょくから見れば善きに向かって弥栄やさかえているのぞ、夏が暑いと申してブツブツ申すでないぞ、秋になるぞ、冬もあるぞ、冬ばかりと考えるでないぞ、やがては春が訪れるのじゃ、いずれも嬉し嬉しとなる仕組み


第五十三帖(709帖)

どうしたらよいのじゃ、神の言うこと聞くから助けてくれと申す者が沢山出て来るが、神は何も難しい事申さん、現在を足場として一歩ずつ進めば良いのじゃ、それでは食って行けんと申す者あるが、神はあり余るほど与えてあるでないか、何故手を出さんのじゃ、与えたもののみが自分のものぞ

今の人民は余っても、足らんと考えて貪むさぼっているぞ、幸福与えてあるのに何故手を出さんのじゃ、曲げて取るのじゃ、心の目ひらけよ、ゴモク(※きたないもの)投げ出せよ、我の強い守護神殿、もう我の世は済んだぞ、我出すほど苦しくなるのじゃ


第五十四帖(710帖)

見える幸福には限りがあり、見えぬ幸福は永遠であるぞ、理みちにいそしめ、理に融け入れよ、物ものは無くなるぞ、霊たまは永遠に弥栄るぞ

毎日毎日掃除してもホコリはたまる、絶えず心の掃除よいか、洗濯よいか、目に見えぬ上、下、左、右、前後から何となく迫って来るものをサニワせよ、審神さにわして受け入れねばならん、自分の魂を育はぐくみ生長させてくれる、大切なものは目に見えん所から流れて来るぞ、和せよ、調和せよ、調和とは上からより清い所から流れて来るものに従うことぞ、いよいよが一四一四となるぞ、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒れの神、大地震の神


第五十五帖(711帖)

十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程急しくなって来るぞ、神示読む暇も無くなると申してある時来たぞ、いずれは人民減るなれど、それも約束事、真理とは替代・かえられん、誠を求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用ごようを与える仕組み


第五十六帖(712帖)

行く水にも雲にも咲く花にも神のみ心あるぞ、それを見る目がないから分からんのじゃ、掃除すれば分かる、掃除は結構拝むは拝まんよりましであるぞ、しかし拝んでばかりでは病気は治らん、金は儲からん、拝むばかりで金儲け出来たり病気治ったりすると思ったら間違いぞ、理みちにいそしめ、理みち行くところ喜びあるぞ、喜びあるから病気も治るのじゃ、金も出て来るのじゃ、お蔭あるのじゃ、喜び神じゃ、タテには神と神界と和し、ヨコには人と環境と大和して行くところにこそ、生きの生命のウレシウレシあるのであるぞ


第五十七帖(713帖)

後にも先にも無いみせしめが出て来るぞ、めぐりひどい所ほどひどい見せしめ出て来るぞ、神が誠の心を見抜いたらどんな手柄でも致さすぞ、自分でもびっくり、誠の人ほどお蔭遅い、遅い程大きなお蔭があるぞ

同じ筋のミタマが沢山あるのじゃ、類魂るいこんと人民申しているもの、いくら因縁あっても曇りがひどいと、その類魂の中から次々に代わりの身魂使う仕組みぞ、兎や角とやかく申さずに素直に付いて御座れ


第五十八帖(714帖)

心の洗濯を早くして、太おおヒツキ太神様に、特に育ての生みの親さまの御実体を理解しなければ、自分でいくら頑張ってもやり損ないじゃ、我われが我がと思っているなれど、皆この方が影からさせているのに気づかんのか、お詫びせよと申せばそんな悪いことした覚えないと申すが、どこまで曇ったのじゃ、神に捧げるには自分に与えられたものの中から捧げねばならん、むさぼり取ったり横取りした自分の物で無い物、儲けたカスを神に捧ささげて威張っているがそれは捧げ物にならん、神は受け給たまわらんぞ、泥棒のお残り頂戴ちょうだいは真っ平じゃ、自分のものを先ず捧げるから弥栄えるのぞ、お蔭おかげ万倍間違いなし


第五十九帖(715帖)

一足飛びには行かん、一歩一歩と申してあろう、一度に神様を知りたいと申してもそうは行かん、一年生からじゃ、出直し出直し、子供に大学の事は分からん、十貫かんの荷物は担かつげん道理、進むにはそれ相当の苦労と努力要るぞ、胡坐あぐらをかいて懐手ふところでしていては出来ん、時も要るぞ、金も要るぞ、良いものほど値が高い、汗も要るぞ、血も要るぞ、涙も要るぞ

今を元として自分を元として善じゃ悪じゃと申してはならん、良き人民が苦しみ、悪い人民が楽しているから、神も仏も無いのじゃと申しているが、それは人民の近目ちかもくぞ、一方的の見方ぞ、長い目で見よと申してあろうが、永遠の理ことわりをわきまえよと申してあろうが、支払しはらい窓は金をくれる所、預け口は金を取る所、同じ銀行でも部分的には逆さまの事しているでないか、全体と永遠を見ねばものごとは分からんぞ、よく心得よ


第六十帖(716帖)

一九三九〇いくみちこと 一九三九〇いくみちこと 一九三いくみち 四九三しくみ 四九三しくみ