第二十帖(791帖)

大奥山と教会とを混ぜ交ぜこぜにしてはならん、教会やその他の集団は現われ、大奥山は隠れじゃ、大奥山はこの度の大御神業おんかみわざにゆかりのある神と人とを引き寄せて練り直し、御用に使う仕組み、見て御座れ、人民には見当取れん事になるぞ


第二十一帖(792帖)

大奥山から出た宗団はひかり教会のみでは無いぞ、いくらでもあるのじゃ、出て来るぞ、故に大奥山に集まった者が皆ひかり教会員ではない、それぞれの因縁いんねんのミタマによって色々な集団に属する、この点をよく心得なされよ、

大奥山は有って無き存在、大奥山だけに関係を持つ人もあるのじゃ、囚われてはならんぞ、人間の頭で消化される様な小さい仕組みしてないぞ、三千世界を一つに丸めるのがこの度の大神業おおかみわざぞ、世界一家は目の前、神の経綸しくみ間違いなし、分からん者は邪魔せずに見物して御座ござ


第二十二帖(793帖)

産土うぶすな様によくお願いなされよ、忘れてはならんぞ、宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ、他の神を拝はいしてはならんと言う、そなたの信仰はそれだけのもの、早く卒業結構ぞ


第二十三帖(794帖)

他の宗教に走ってはならんと言う宗教もそれだけのもの、分からんと申してもあまりであるぞ、同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今なかいまにあるのぞ

同じ部屋に他の神や仏を祀まつってはならんと申す、一方的なメクラ宗教には盲めしいが集まるのじゃ、病気が治ったり運が開けたり、奇蹟が起こったりするのみをお蔭かげと思ってはならん、もう少し大きい心、深い愛と真の世界を拝めよ、融け入れよ、浄化が第一

金が好きなら金を拝んでも良いのじゃ、区別と順序さえ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ、金を拝めば金が流れて来るぞ、金を拝み得ぬ意固地いこじさがそなたを乏しくしたのじゃ、赤貧は自慢にならん、無神論も自慢にならん、清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろう


第二十四帖(795帖)

怒ってはならん、急いではならん、怒ると怒りの霊界との霊線が繋つながり、思わぬ怒りが湧いてものを壊してしまうぞ、太神おおかみの仕組みに狂いは無いぞ、皆々安心して付いて御座れよ


第二十五帖(796帖)

食物は科学的栄養のみに囚われてはならん、霊の栄養が大切、自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、もう一段奥の魂と和合せよ、更にまた奥の自分と和合せよ、一番奥の自分は神であるぞ

高い心境に入ったら神を拝む形式は無くてもよいぞ、為すこと心に浮かぶことそれ自体が礼拝となるからぞ、山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ、草木動物悉ことごとく自分ぞ歓喜ぞ、その自分出来たら天を自分にすることはムにすることぞ、〇に化かすことぞ、ウとムと組み組みて新しきムとすることじゃ


第二十六帖(797帖)

現状を足場として進まねばならん、現在のそなたのおかれていた環境はそなたがつくり上げたものでないか、山の彼方に理想郷があるのではないぞ、そなたはそなたの足場から出発せねばならん、もしそれが地獄に見えようとも現在においてはそれが出発点、それより他に道は無いぞ


第二十七帖(798帖)

祓いは結構であるが厄やく祓いのみでは結構とはならんぞ、それは悪を無くすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくする事に努力した結果が、今日の大混乱を来たしたのと同じであるぞ

よく考えて下されよ、善と申すも悪と言うも皆悉ことごとく大神の肚はらの中であるぞ、大神が許し給たまえばこそ存在しているのであるぞ、この道理をよく会得えとくせよ、祓はらうと申すのは無くすることでは無いぞ、調和する事ぞ、和して弥栄えする事ぞ


第二十八帖(799帖)

厄も祓わねばならんが、福も祓わねばならん、福ふく祓いせよと申してあろうが、厄やくのみでは祓いにならん、福のみでも祓いにならんぞ、厄祓いのみしたから今日の乱れた世相となったのじゃ、この分かり切った道理どうりが何故に分からんのか、悪を抱き参らせよ、善も抱き参らせよ、抱いだくには〇にならねばならんぞ


第二十九帖(800帖)

母答もとを正さねばならん、間に合わんことになるぞ、心の改心をすれば、どんなお蔭でも取らすぞ、世界一度に改心、幽国は火の雨じゃなぁ


第三十帖(801帖)

心の入れ替えせよとは新しき神界との霊線をつなぐ事ぞ、そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我の虫が生まれて来るぞ、訳の分からん虫が湧くぞ、我の病やまいになって来るぞ、その病は自分では分からんぞ、訳の分からん病やまい流行るぞと申してあるがそのことぞ

肉体の病ばかりでないぞ、心の病激しくなっているから気付けてくれよ、人々にもその事知らせて共に栄えてくれよ、この病を治すのは、今日までの教えでは治らん、病を殺して了しまって病を無くしようとて病は無くならん、病を浄化しなければならん、悪を殺すと言う教えややり方ではならんぞ、悪を抱き参らせて下されよ


第三十一帖(802帖)

足の裏を綺麗に掃除なされよ、外から見えん所が汚けがれているぞ、日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ

出雲いづもの神の社やしろをかえて、竜宮の乙姫様のお社を陸につくらねば、これからの世は動き取れん事になるぞ

一切が自分であるぞと言うことは例えでないぞ、そなたは、食物は自分ではないと思っているが、食べるとすぐ自分となるでないか、空気も同様、水も同様ぞ、火も同様、大空もそなたぞ、山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ、人間は横の自分ぞ、神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん、自分を疎おろそかにしてはならん、一切を受け入れねばならんぞ、一切に向かって感謝しなければならんと申してあろうが


第三十二帖(803帖)

世界連邦と申しているが、地上世界のみの連邦では成就せぬ、片輪車で、いつまでたってもドンテンドンテンじゃ、心して下されよ、何故に霊界、神界をひっくるめた、三千世界連邦としないのか、要らぬ苦労はせぬものじゃ


第三十三帖(804帖)

誠から出た事は誰の願いも同様、心配せずにドシドシと進めて下されよ、もし行き詰まったら省かえり見よ、行き詰まった時は大きくひらける時じゃ、じゃと申してひと所で急ぐでないぞ、急ぐと道が見えなくなって来るぞ

そなたの考えて御座ござる事は自己中心ではないか、我よしの小さい我よしではならん、大きな我よしは結構ぞ

犠牲になることを尊い事じゃと申しているが、犠牲に倒れてはならん、己を生かす為に他を殺すのもいかん、己を殺して他を生かすのもいかん、大きな虫を生かすため、小さな虫を殺す事はやむを得ん事じゃと申したり、教えたりしているが、それもならんぞ、総すべてを殺さずに皆が栄える道があるではないか、何故に神示を読まんのじゃ


第三十四帖(805帖)

神懸かりはよしなされよ、そなたは学に囚われて御座るぞ、科学を越えて神の学に生きて下されよ、そなたは自分で自分の首を絞める様なことをして御座るぞ、自分で勝手に小さい自分の神を作っているぞ、一度その神を捨てなされ、固く抱きしめたり、閉じ込めているから、分からない事に行き詰まるのじゃ、分かったか、我と分からない我に気つけなされよ、今一息と言うところぞ


第三十五帖(806帖)

化物ばけものに化かされん様、お陰かげ落さん様にして下されよ、良いことを申し、良い行いをしていても、良くない人があるのじゃ

良くない事も御用の一つではあるが、そなたはまだそれを消化する程の所まで行っていないぞ、小学生が大学生の真似をしてはならん、そなたはまだ慾よくがあるぞ、小さい自分ばかりのその慾を捨てなされ、そして誠の大深慾おおふかよくになりなされよ、その気持ちさえ動いて来れば何事も見事成就するぞ


第三十六帖(807帖)

ぎょうは、世界中の行、誰一人逃れるわけには行かないぞ、めぐり果たした者から、嬉し嬉しになる仕組み、そなたの心配一応は無理無いなれど、何処で、どんな事していても、身魂みたま磨けてさえ居れば、心配なくなるぞ、心配は磨けて居らぬ証拠ぞ

そなたは物に不足するとこぼして御座るなれど、物に不足するのは心に足らぬ所があるからぞ、心至いたれば物至るぞ、何事も神の申す通り素直になされよ、素直結構じゃなぁ


第三十七帖(808帖)

そなたのやる事はいつも時が外はずれて御座るぞ、餅搗もちつくには搗く時あるぞと知らせてあろうがな、時の神を忘れてはならんぞ、春には春の事、夏は夏の事じゃ

そなたは御神業おんかみわざじゃと申して他に迷惑を掛けているではないか、そこから改めねばならん、鼻つまみの御神業は無いのであるぞ、そなたはお先真っ暗じゃと申しているが夜明け前は暗いものぞ、暗い闇の後に夜明けが来る事分かっているであろうが、神はすべてお見通しであるからすぐのお蔭は小さいぞ、利子付けた大きなお蔭を結構に頂いて下されよ


第三十八帖(809帖)

はじめの喜びは食物ぞ、次は異性ぞ、何いずれも大きな驚きであろうがな、これは和す事によって起こるのぞ、融け合う事によって喜びとなるのじゃ、喜びは神じゃ、和さねば苦となるぞ、悲しみとなるぞ、先ず自分と自分と和合せよと申してあろう、そこにこそ神の御働きあるのじゃ

じゃがこれは外の喜び、肉体の喜びぞ、元の喜びは霊の食物を食う事ぞ、その大きな喜びを与えてあるのに何故に手を出さんのじゃ、その喜び、驚きを何故に求めんのじゃ、喜びが神であるぞ、何故に神示を食べんのか、見るばかりでは身につかんぞ、よく噛みしめて味わって喜びとせんのじゃ

次には神との交わりぞ、交流ぞ、和ぞ、そこにはかって知らざりし驚きと大歓喜が生まれるぞ、神との結婚による絶対の大歓喜あるのじゃ、神が霊となり花婿むことなるのじゃ、人民は花嫁となるのじゃ、分かるであろうが、この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはせぬ、永遠に続く結びじゃ、結婚じゃ、何ものにも比べる事の出来ぬ驚きぞ、喜びぞ

花婿殿が手を差し伸べているのに何故に抱かれんのじゃ、神は理屈では分からん夫婦の交わりは説明出来まいがな、神が分かっても交わらねば、神と融け合わねば真理は分からん、なんとした結構な事かと人民びっくりする仕組みぞ

神と交流し結婚した大歓喜は死を超えた永遠のものぞ、消えざる火の大歓喜ぞ、これが誠の信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ、早く神の懐ふところに抱かれて下されよ


第三十九帖(810帖)

何事が起こって来てもそなたは先ず喜べよ、それが苦しい事でも、悲しい事でも喜んで迎えよ、喜ぶ心は喜び生むぞ、人民喜べば神喜ぶぞと申してあろうが、天地晴れるぞ、輝くぞ

そなたは先ばかり見ているぞ、足で歩くのじゃ、足もとに気つけねばならんぞよ、そなたは自分一人で勝手に苦しんで御座るなれど、皆と仲よく相談なされよ、相談結構じゃなぁ、相談して悪いことは気付け合って進んで下されよ