第一帖(834帖)

東は扶桑ふそうなり、日⦿出づる秋は来にけり、この巻扶桑の巻、続く六の巻を合わせて七の巻、一百四十四帖の黙示を五十いせ黙示と申せよ

イシもの言うぞと申してあったが、イセにはモノ言う石いしがあると昔から知らせてあろうがな、五の一四いしがもの言うのであるぞ、開けば五十となり五百となり五千となり、握れば元の五となる、五本の指の様に一と四であるぞ、この方を五千の山にまつれと申してあろうが、これがイツラぞ、五十連ぞ、分かったか

五十連いつら世に出るぞ、天に神の座があるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ、七の印と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ

天は三であり地は四であると今までは説かせてあったなれど、いよいよ時節到来して、天の数二百十六(216)地の数一百四十四(144)となりなり、伊邪那岐三(3)となり伊邪那美二(2)となりなりて、ミトノマグアイして五となるのであるぞ、五は三百六十(360 ※円の全周)であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろはであるぞ

大グレン目の前、分からん者が上に立つ事になるぞ、日本のみの事では無いぞ、世界中の事であるぞ、今度は三千世界が変わるのであるから今までの様なタテカエでは無いのであるぞ

鏡が御神体であるぞ、何もかも鏡に映るのであるぞ、何も映らん御神体のカガミは何もならんぞ


第二帖(835帖)

なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ

いちはいくら集めても一であるぞ、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、分からん者いくら集めても分からん道理、人民大変な間違いを致して居るぞと申してあろうがな

れいが元じゃ、一が元じゃ、結びじゃ、弥栄じゃ、よく心得なされよ、世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も繰り返したのであるぞ、その時はそれはそれであったぞ、火と水の十どろどろであったぞ、その中に五色五頭の竜神が御ハタラキなされてつくり固めなされたのじゃ

今の人民は竜神と申せばすぐ横を向いて耳を塞ふさぐなれど、誠の事を知らせねばならん時だから、言こと分けて申しているのぞ、竜神とは神であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一つであるぞ

戒律を作ってはならん戒律が無くてはグニャグニャになると思うであろうが、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれどいつまでもそんな首輪は要らんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな


第三帖(836帖)

高天原に千木高しりて仕えまつらん

岩戸の開けたその当座は、不合理に思える事ばかり出て来るぞ、逆様の世界がこの世界に入り交じるからであるぞ、親よりも子の方が早く目覚めるぞ、子が親となるぞ、逆様の世界と申しても悪の世界では無いぞ、霊界には想念のままにどんな事でも出来るのであるぞ、うれしい、こわい世界が近づいて来ているのであるぞ


第四帖(837帖)

ツミケガレ今はあらじとはらい給えそ

空白とは九八九くぅはくであるぞ、八と九、九と八の境を開くことが岩戸を開くことじゃ、空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ


第五帖(838帖)

八塩路の塩の八百会母います国くに

天の声あるぞ、地の声あるぞ、和して十の日月地ひつきくにと現われるぞ、五十人の仁人じんひとが出て来るぞ、仁人とは神人のこと、この仁人が救世主であるぞ、救世主は一人でないぞ、各々の民族に現われて、五十人であるなれど五十と言う数に囚われるなよ、五十人で一人であるぞ、数に囚われると分からん事になり、岩戸閉めとなるから気つけおくぞ


第六帖(839帖)

はらいため千城百国ちしろももくに精治せいち万歳

三年と半年、半年と三年であるぞ、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年じゃ、五日と五日じゃ、その間は暗闇くらやみ時代、火を灯しても暗いのであるぞ、明るい人民には闇でも明るい、このこと間違えるでないぞ

手足の爪まで抜き取られ、あるにあられんむごい事にされて、追いやられたのであるが、誠は誠じゃ、時めぐり来て、我が取れたので光が差し染めたのじゃ、岩戸が開けたのじゃ、神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ、世界中の苦しみ、地上の苦しみは天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなる試練があるぞ、人の心の難しさ計り知れん程であるなれど見て御座れ、見事な事致して見せるぞ


第七帖(840帖)

岩隠れし比売ひめ、秘命のミホトは焼かれ給いて

三分の一の人民になると早くから知らせてあった事の実地が始まっているのであるぞ、何もかも三分の一じゃ、大掃除して残った三分の一で新しき御代の礎いしずえと致す仕組みじゃ、三分難しい事になっているのを天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ、堪忍のカンニン、我慢のガマンであるぞ、九⦿の花咲くぞ


第八帖(841帖)

平坂の岩戸ひらけむ音の聞こゆる

神に怒りは無いのであるぞ、天変地異を神の怒りと取り違いしてはならん、太神おおかみは愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ、総すべてが喜びにましますが故に怒りは無いのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外はずれて了しまうのであるぞ

救いの手は東より差し伸べられると知らせてあろうが、その東ひむかしとは、東西南北の東では無いぞ、この事よく分かって下されよ、今の方向では東北から救いの手が差し伸べられるのじゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終わりの終わりぞ、弥栄の弥栄ぞ、礎いしずえ


第九帖(842帖)

ささげてむ和稲荒稲わしねあらしね横山のごと

五人あるぞ、中二人、外三人、この仕組み天の仕組み、人民のみで世界連邦を作ろうとしてもそれは出来ない相談、片輪車と申してあろうが、目に見えぬ世界や人民とのタテの繋がりつけねばならん道理、人民同志の横糸だけでは織物にならんぞ、一切と手を繋がねばならん、火水組み組みて織りなされたものが錦にしきの御旗じゃ、天は火ぞ、地は水ぞ、ヒミツの経綸しくみであるぞ


第十帖(843帖)

赤丹あかにの頬にきこしめしませ、御酒みきたてまつる

何事が起こって来ても、先ず喜んで迎えねばならんぞ、近づいて来るのは呼び寄せたからじゃ、こんな嫌な汚い物はご免めんじゃと申す人民もあるなれど、それは皆己おのれの心の写しではないか、内に無いものが外から近寄る道理ないのじゃ、どんなものでも喜んで迎えると喜びとなる仕組み、何事も一段づつ、一歩づつじゃ、一足飛びは大怪我のもと、よく会得えとくせよ


第十一帖(844帖)

沖つ藻葉辺津藻葉おきつもはへつもは

母しらす御国みくにの五のハタラキは何いずれも十の翼つばさを持っているぞ、足は十本であるぞ、更に五十の翼となりなる仕組み、五十の足がイツラぞ、イツラでは動き取れん、四十九として働いてくれよ、真中の一は動いてはならん、真中動くで無いぞと申してあろうがな

時過ぎて種を蒔く人民多いのう、人民と申す者は天狗てんぐだから、自分は良いのだが世の中が悪いのだと申しているなれど、世の中と申すものは大神のハタラキの現われであるから、大神の中での動きであるから、世の中が悪いと思うのは大神が悪いと思う事になるのじゃぞ、そこに底知れぬ程の魔の仕組みがあるぞ、気つけおくぞ


第十二帖(845帖)

たてまつる宇都うつの幣帛みてくらきこし召したべ

神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十じゃ、この巻物を見た者は今までに一人も無かったのであるぞ、見ても分からんのじゃ、巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となってしまうのであるぞ、人民には分からんなり、解く事は出来んなり、この巻物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有がしるしてあるぞ、心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのであるぞ

時節参って誰の目にも黙示もくじと映る様になった、有難い事であるぞ、岩戸が開けて愈々いよいよの時となったのぞ、始めからの巻物をよく読んで下されよ、良く選り分けて下されよ、何もかも一切ありやかに刻まれているぞ、残る十二と一巻は人民では分からんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ


第十三帖(846帖)

称え言太祝詞たたえことふとのりとこと今ぞ高らかに

木でも草でも皆、中から大きくなるのだと申してあろう、付け焼き刃や膏薬こうやく貼りで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言う二度とない結構な時が巡り来ているのであるぞ、難しい事申しているのでは無い、為せばなるぞ、自分の中の自分を掃除して、自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、磨けば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞキリストぞと申してあろう、内にあるものを磨けば外から響くものも磨かれた、穢けがれ無いものとなるのじゃ、中の自分を掃除しないで居ると、いつまで経っても岩戸が開けていても、岩戸は開けん


第十四帖(847帖)

青海原、青垣山の内に御子生まる

神の御座みくらのまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現われるのであるぞ、大摩邇おおまには百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏けぶつじゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今までは四の活物いきものと知らせてあったが、岩戸が開けて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒の五色であるぞ


第十五帖(849帖)

百不足八十隅手ももたらずやそくまでいまひらかん時ぞ

天の事は今までは人民には分からなかったのであるぞ、時めぐり来て岩戸が開けて分かる様になったのぞ、今までの人民であってはならん、地そのものが変わっているのであるぞ、人民は我が強いから一番遅れているのであるぞ、人民の中では宗教人が一番遅れているぞ

神人とならねば生きては行かれんのじゃ、天地がアメツチとなって来ているからぞ、天も近くなるぞと気つけてあったのに、目覚めた人民少ないぞ、今に昇り降りで急いそがしくなり衝突する者も出て来るぞ、他人におんぶされたり車に乗せられていた人民達よ、もうその時は過ぎているのであるから自分の足で歩まねばならんぞ、大地を踏みしめよ、大地の気が身内に甦よみがえるぞ