第一帖(742帖)
同じ神の子でも本家と分家あるぞ、本家は人間じゃ、分家は動植物じゃ、本家と分家は神の前では同じであるが、位置を代えると同じでないぞ
三十年で世の立て替え致すぞ、これからは一日増しに世界から出て来るからいかに強情ごうじょうな人民でも往生おうじょう致すぞ
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、それは段階の低い教えであるぞ、大道でないぞ、理屈の作り出した神であるぞ、大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ、抱き参らす人の心に誠の不動の天国来るぞ、抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが、今までの教えは今までの教え
第二帖(743帖)
人民は土でつくった創ったと申せば、総すべてを土でこねて作り上げたものと思うから、神と人民とに分かれて他人行儀になるのぞ、神の喜びで土をつくり、それを肉体のカタとし神の歓喜を魂として、それにうつして神の中に人民をイキさせているのであるぞ、取り違いせん様に致して呉くれよ、親と子と申してあろう、木の股またや土から生まれたのでは誠の親子ではないぞ
世界の九分九分九厘であるぞ、あるにあられん、押しも引くも出来ない事がいよいよ近くなったぞ、外は外にあり、内は内にあり外は内を悪と見、内は外を悪として考えるのであるがそれは善と悪でないぞ、内と外であるぞ外には外の喜び内には内の喜びあるぞ二つが和して一となるぞ、一が始めぞ元ぞ和して動き、動いて和せよ悪を悪と見るのが悪
第三帖(744帖)
霊界での現われは同じであっても、現実界に現われる時は違う事あるぞ、それはモノが異なるからぞ、二二ふじは元のキぞ、ナルトとはその現われのはたらき
第四帖(745帖)
道徳、倫理、法律はいずれも人民の作ったもの、本質的には生れ出た神の息吹によらねばならん、神も世界も人民もいずれも生長しつつあるのぞ、何時までも同じであってはならん
三千年で一切りじゃ、今までの考え方を変えよと申してあろう、道徳を向上させよ、倫理を新しくせよ、法律を少なくせよ、何れも一段づつ上げねばならん、今までのやり方間違っていた事分かったであろう、一足飛びには行かんなれど、一歩一歩上って行かなならんぞ、じゃと申して、土台を捨ててはならん、土台の上に建物建てるのじゃ、空中楼閣くうちゅうろうかくは見て居おれん
第五帖(746帖)
臍へその緒おは繋がっているのであるから、一段奥の臍へ臍へと進んで行けば、そこに新しき広い世界大きく開けるのであるぞ、自分無くするのではなく、高く深くするのであるぞ、無我でないぞ、分かったか
海の底にはキンはいくらでもあるぞ
幽界と霊線れいせん繋ぐと自己愛となり、天国と霊線繋げば真愛しんあいと現われるぞ、喜びも二つあるぞ、三つあるぞ、大歓喜は一つなれど次の段階では二つとなるのであるぞ
第六帖(747帖)
他を愛するは真愛ぞ、己おのれのみ愛するのは自己愛ぞ、自己愛を排はいしてはならん、自己愛をひろげて大きくして真愛と合致させねばならん、そこに新しき理みちひらけるのであるぞ
自己愛を悪魔と説とくは悪魔ぞ、無き悪魔作り、生み出すでないぞ、一段昇らねば分からん
第七帖(748帖)
公おおやけの事に働くことが己のために働くこと、大の動き為なすために小の動きを為し、小の動き為すために個の動き為すのであるぞ、「・」に「・」あり、また「・」あると申してあるぞ
第八帖(749帖)
何事も喜びからぞ、結果からまた喜び生まれるぞ、この道理分かれば何事もありやか
第九帖(750帖)
みろくの世となれば、世界の国々がそれぞれ独立の独自のものとなるのであるぞ、じゃが皆それぞれの国は一つの臍へそで大き一つの臍に繋がっているのであるぞ
地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれのまた自ずから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ、一色に塗りつぶす様な一家となると思っているが人間の浅はかな考え方ぞ、考え違いぞ、この根本を直さねばならん、霊界の通りになるのじゃ
第十帖(751帖)
外の喜びはその喜びによって悪を増し、内の喜びはその喜びによって善を増すなれど、マコトの喜びは外内と一つになり二つになり、三つになった喜びとならねば弥栄いやさかないぞ
第十一帖(752帖)
親と子は生むと、生まれるとの相違出来て来るぞ、又上の子と下の子と、左の子と右の子とは違うのであるぞ、違えばこそ存在する
第十二帖(753帖)
神について御座ござれよ、理屈申さずついて御座れよ、地獄無いと申してあろう、人は神の喜びの子と申してあろう、人の本性は神であるぞ、神なればこそ天国へ自おのずから行くのじゃ、天国に住むのじゃ
第十三帖(754帖)
人民嘘が上手になったから中々油断ならんぞ、下々の神様も嘘うそ上手になったなぁ、善じゃ悪じゃと申しているが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ、そのまま霊人の悪でないぞ心してくれ
第十四帖(755帖)
グッと締しめたり、緩ゆるめたりして呼吸しなければならん、そこに政治の動きあるぞ、経済の根本あるぞ、逆に締める事もあるぞ、善と申し悪の御用と申す事の動き、そこから出るのじゃ、じっとしていてはならん、ジッとしている善は善ではないぞ
第十五帖(756帖)
いかほど世界の為じゃ、人類の為じゃと申しても、その心が我がが強いから、一方しか見えんから、世界の為人類の為にならんぞ、洗濯じゃ洗濯じゃ
自分が生んだもの、自分から湧き出るものはいくら他に与えても無くならんぞ、与えよ、与えよ、与えて無くなるものは自分のもので無いと申してあろう、無くなると思うのは形のみ見ているからじゃ、カラのみ見るからじゃぞ、本質は無限に拡がるぞ、与える程より良く、神から与えられるぞ、井戸の水の様なものじゃ、汲くめば汲むほど良くなる仕組み
第十六帖(757帖)
統一と言うことは赤とか白とか一色にすることでは無いぞ、赤もあれば黄もあり、青もあるぞ、それぞれのものは皆それぞれであって一点の ・でくくる所に統一あるぞ
くくると申して縛しばるのではないぞ、磁石が北に向く様、総すべて一点に向かう事であるぞ、これを公平と申し、平等と申すのじゃ、悪平等は悪平等、一色であってはならんのう
下が上に、上が下にと申してあるが、一度で治まるのでないぞ、幾度も幾度も上下に引っ繰り返り、また引っくり返りビックリじゃ、ビックリこね廻しじゃ
第十七帖(758帖)
神示が一度で分かる人民には、身魂みたま鎮しずめや神カカリは要いらん、分からんからやらせているのじゃ、やらせねば分からんし、やらすと脇道わきみちに陥おちいるし、いやはや困ったもんじゃのぅ
第十八帖(759帖)
人民は神の臍へそと繋つながっているのであるぞ、臍の緒おさえ繋がって居れば良く、神人かみひとであるぞ、・と ・と繋がって、更に大き ・ に繋がっているからこそ動きあり、それぞれの動きあり、それぞれのハタラキあり使命を果たし得るのであるぞ、同じであって全部が合一しては力出ないのであるぞ
早く心を入れ替えと申してあるが、心とは外の心であるぞ、心の中の中の中の心の中には・が植え付けてあるなれど、外が真っ暗じゃ、今までのやり方では行けんこと分かって居ろうがな、要いらんものは早く捨ててしまえよ
直々の大神様は二つきの大神様なり
第十九帖(760帖)
中今なかいまと申すことは・今と申すこと、・は無であるぞ、動きなき動きであるぞ、その事よくわきまえよ、今までの事、やり方変えねばならん、一段も二段も三段も上の、広い深いゆとりのあるやり方に神のやり方に変えねばならん、規則の無い世に、考え方、やり方、結構であるぞ
第二十帖(761帖)
科学に・入れると宗教となるのじゃ、・ は数、カネは掘り出せん、生み出してくれよ
第二十一帖(762帖)
和が根本こんぽんで和が喜びぞ、和すには神を通じて和すのであるぞ、神を通さずに神を無くして通じるのが悪和合あくわごう、神から分かれたのであるから、神に帰って神の心に戻って和さねばならん道理どうり、神無くして和ないぞ、世界平和と申しているが、神に返って神に通じねば和平なく喜び無いぞ
十二の玉を十まで産んで、後二つ残してあるぞ
第二十二帖(763帖)
神にとけ解とけ入れと申してあろう、解けいれよ、次元が違うから、戒律かいりつ出来るから分からんのじゃ、何につけても大戦おおいくさ、人の殺し合いばかりで無いと知らせてあろう、ビックリじゃ
第二十三帖(764帖)
神が主であり、人民が従であると申してあろう、これを逆にしたから世が乱れているのぞ、結果あって原因あるので無いぞ
今の人民、結構過ぎて天地の御恩ごおんと申す事を忘れているぞ、いよいよとなって泣き面せねばならんこと分かっているから、くどく気付けているのじゃ、誠の事はトリの年
第二十四帖(765帖)
上から見ると皆人民じゃ、下から見ると皆神じゃ分かったと思って御座るなれど、神の経綸しくみが学や金銀積んでチョットやソットで分かる筈ないぞや、今までの三千年のやり方違っていたと心つくなれば、心付いて神示読むなれば一切の事ありやかとなるのじゃ、カンジン肝心じゃ
第二十五帖(766帖)
ウはムであるぞ、ウとは現実界ぞ、ムとは霊界であるぞ、ウもムも同じであるぞ、ムからウ生まれて来ると申してあることよく心得よ
神の仕組みは狂い無いなれど、人民に分からねばそれだけこの世の歩み遅れるのじゃ、この世は人民と手引かねばならんから、千人万人なら一人づつ手引いてやってもやり易いなれど、世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組みであるから、人民早く改心せねば苦しみが長くなるから、気の毒愈々いよいよとなるぞ
第二十六帖(767帖)
中は無、外は有であるぞ、中になる程無となるのじゃ、同じ事くり返すと人民申すであろうが、得心えしんして居らんからクドク申しているのじゃ、肝心かんじんの事じゃからクドく申しているのじゃ
人民それぞれのミタマによって役目違うのであるぞ、手は手、足は足と申してあろう、何もかもマゼコゼにやるから結びつかんのじゃ
第二十七帖(768帖)
型にはまる事をカタマルと申すのじゃ、こり固まっては動き取れん、固まらねば型出来んで、人民には分からんし、型を外して、型を作らねばならん、法律作らねばならんが、作ってもならんぞ
神から命令されたミタマでも油断は出来ん、曇ったらすぐ代りのミタマと入れ替えるのであるぞ
コリ固まったものがケガレじゃ、ケガレ祓はらさねばならん、絶えず祓って祓って祓いつつ、又固まらねばならんし、人民には分からんし、肉体あるから固まらねばならんし、常に祓いをせねばならん、総てをこんなもんじゃと決めてはならんぞ、・気枯れる事をケガレと申すのじゃ、分かったか、神界の立替えばかりでは立替え出来ん、人民界の立て替え中々じゃなぁ
第二十八帖(769帖)
霊は物につくと申してあろう、祓いする時はモノにつけて、モノと共に祓えよ
これほど誠を申しても、残る一厘はいよいよギリギリでないと申さんから、疑うのも無理無いなれど見て御座れよ、神の仕組み、見事成就じょうじゅ致すぞ、一厘いちりんの事は知らされんぞと申してあろう、申すと仕組み成就せんなり、知らせないので、改心遅れるなり、心の心で取って下されよ
肉体は霊の衣ころもと申してあろう、衣が霊を自由にしてはならんぞ、衣には衣の約束あるぞ、衣じゃと申して粗末にしてはならん、いずれも神の現われであるぞ、内には内の内があり、外には外の外があるぞ
人褒ほめよ、人褒める事は己おのれ褒める事ぞ、この巻、秋の巻