第一帖(911帖)

宇都志水うつしみずに天津あまつ水添え奉らんを、夕陽より朝日照るまでフトノリトせん、火結神ほむすびの実秀答みほと焼かれて岩戸言答ことこと閉ざしき

世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、動きは二つ三つとなるのじゃ、キはキの動き、ミはミの動き、動いて和してキミ(※伊弉那岐・伊弉那美)と動くのじゃ、三が道ぞと知らせてあろう

自他の境界つくるで無いぞ、自おのずから自他の別と和が生まれて、お互いに折り重なって栄えるのじゃ、世界一家への歩み方、やり方間違えるでないぞ、九分九厘くぶくりんまで進まねば後の一厘は分からん、今が九分九厘であるぞ、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、自ずから相違あるぞ


第二帖(912帖)

青玉の水江の玉ゆい、よよ栄えむ、天地咲さきえむ神の礼白臣いやしろおみの礼白いやしろ、天つ神の寿言よごとのままに八十やそ岩明けぬ

守護神を良く致せば肉体も良くなるぞ、神の道は一本道であるから、多くに見えても終わりは一つになるのじゃ、今が終わりの一本道に入る所、この道に入れば新しき代は目の前、神も今まではテンデバラバラであったなれど、今に一つにならねばならぬ事に天が命じているのであるぞ、人民の中と外も同様ぞ

今の人民は誠が足らんから誠を申しても耳に入らんなれど、今度は神が人民に移ってまた人民となって誠の花を咲かす仕組み、同じ事を百年も続けてクドク申すと人民は申すなれど、分からないから申しているのであるぞ


第三帖(913帖)

わが身を捨てて三千世界に生きて下されよ、わが身を捨てると申すことは我を捨てること、学を捨てる事じゃ、捨てると真理が掴つかめて大層な御用が出来るのであるぞ、それぞれの言葉はあれど、ミコトは一つじゃと申してあろうが、ミコトに生きて下されよ

言葉の裏には虫が付いているぞ、英語学ぶと英語の虫に、支那語しなご学ぶと支那語の虫に犯されがちじゃ、分からねばならんし、中々ながら御苦労して下されよ、大難を小難にする事は出来るのであるが無くする事は出来ん、不足申すと不足の虫が湧くぞ、怒ると怒りの虫ぞ

一生懸命、自分の信じる様に、神を小さくして自分で割り切れる様に、引きずり降ろして居るなれど、困ったものじゃ、長くゆったりとした気持ちで神を求めて下されよ


第四帖(914帖)

大空に向かって腹の底から大きく呼吸して、ゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸い込んで下されよ、そなたの神を一応捨てて心の洗濯を致してくれよ、神示が腹に入ったら捨てて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ

日本が秘の本の国、⦿出づる国、艮うしとらのかための国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国という事が分かって来んと今度の岩戸開きは分からんぞ、こんなことを申せば、今の偉えらい人々は古臭い迷信じゃと鼻にもかけんなれど、今の学では分からん事ばかり、国常立命がウシトラからお出ましになる事が岩戸開きぞ

善と悪とに勝手に別けて善をやろうと申すのが今の世界のあり方、天の王、地くにの王のこと、・のことがハッキリ分からねば足場が無いではないか、足場も、目当めあても無くてメクラメッポーに歩んだとて、目的地には行き着けん道理


第五帖(915帖)

つまらぬ事に心を残すのは、つまらぬ霊界との縁えにしが残っていることぞ、早く岩戸開いて富み栄えて下されよ、人民富み栄える事は、神が富み栄える事ぞ、何事も祓い清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違うもの同志和すのがマコトの和であるぞ、8までと9、10とは性が違うのぞ


第六帖(916帖)

和すには5と5でなくてはならんが、陽が中で陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、逆さまはならん、これが公平と申すものじゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰じゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方が祓い清め


第七帖(917帖)

今まで世に落ちていた神も世に出ていた神も皆一つ目じゃ、一方しか見えんから、逆の世界の事は分からんから、今度の岩戸開きの御用は中々じゃ、早く改心して九の神について御座るのが一等であるぞ

外国の方が早く改心するぞ、外国人とは逆の世界の人民の事であるぞ、神の目からは世界の人民、皆我が子であるぞ、世界中皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ分からん出来んと申すこと無いのじゃ、どんな事でも致して見せるぞ


第八帖(918帖)

元は5で固めたのじゃ、天のあり方、天の父は「5」であるぞ、それを中心として、ものが栄え行く仕組み、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから、行き詰まって世界の難渋なんじゅうであるぞ、手や足は何故に5本であるか、誰にも分かるまいがな


第九帖(919帖)

天の「5」を地に移すと地の五則となるのじゃ、天の大神は指を折って数かぞえ給うたのであるぞ、天の大神の指も五本であるから、それを五度折って二十五有法ゆうほうとなされ、五十を元もととされたのじゃ

神々、神心、神理、神気、神境であるぞ、これを五鎮と申すのであるぞ、この交叉こうさ弥栄いやさかは限りなし、上天、下地、照日、輝月、光星、これを五極と申すぞ、東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申す、裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物五生と申し、文則、武則、楽則、稼則、用則五法と申すのじゃが、それだけでは足りん、その中にがあるのじゃ、大神がましますのじゃ、人民の頭では中々に理解出来んなれど理解して下されよ、これが妙であるぞ、奇であるぞ、天の父の教えであり、地にうつした姿であるぞ


第十帖(920帖)

神示ふでに出したら天明に書かせるのであるぞと知らせてあろう、神示ふではいくらでも神界に出してあるのじゃ、神が想念したならば神界ではそれが神示となっているのじゃ、それを人民に分かる様に書かせるのじゃ、父と母との文字で書かせるのであるぞ、天明は神示うつす役、書かせる御役


第十一帖(921帖)

あたりの事と、陽かげの事と一時に出て来るのじゃ、タテコワシとタテナオシが一時に来るのじゃ、神の申した通りになって居ろうがな、学で説くと学の鬼に囚われるぞ、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われる、このままに伝えて下されよ、天の世界も潰してはならない、地の世界も潰すわけには参らないが、地上の事は建て直し難しいなれど、見て御座ござれよ、一厘いちりんの火水ひみつでデングリ返して、見事な事をお目にかけるぞ


第十二帖(922帖)

口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るがそれは悪の花、心と行が伴ともなわんからじゃ、己おのれ自身の戦いくさが終わっていないからであるぞ、そなたの持つ悪い癖を直して下されよ、それが御神業おんかみわざじゃ、神々様も自分の癖を直すために御苦労なさっているぞ、そのために生長せいちょうする、昨日の自分であってはならんぞ、六十の手習いで止まってはならん、死ぬまで、死んでも手習いじゃ、お互いに拝おろがめよ、拝むと総すべてが自分となる、拝むところへ集まって来て弥栄えじゃ


第十三帖(923帖)

これまで申して聞かせても言う事聞かぬ人民多いぞ、聞く耳が無いならば思う様にやって見なされ、グルグル廻って又また始めからぞ、人民は神の中に居るのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん、死んでも神の中に居るのぞ、我われが我で苦しむのも薬と申すもの、思う様にやって得心えしん改心かいしん結構ぞ


第十四帖(924帖)

正しくないものが正しい方に従わねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣ころもを脱いで下されよ、誠まことを衣として下されよ、誠を衣にするには心が誠となりなりて誠の肉体とならねばならん、誠とは数じゃ、言じゃ、色じゃ、その配列、順序、法則ぞ、色タマは言葉、数タマは数字、色タマ、数タマが乱れると世界が乱れる、神界の乱れは色からぞ


第十五帖(925帖)

右の頬を打たれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元じゃと申しているが、それは無抵抗ではないぞ、その心根こころねをよく洗って見つめよ、打たれる様なものを心の中に持っているから打たれるのぞ、誠に居れば相手が手をふり上げても打つ事は出来ん、よく聞きわけて下されよ、笑って来る赤子の無抵抗は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ、左の頬を出す愚おろさを止めて下されよ、世界一家、天下泰平たいへいじゃ


第十六帖(926帖)

頭を下げて低くなって見なされよ、必ず高い所から流れて来るぞ、高くとまっているから流れて来ないのじゃ、神の恵みは水の様に淡々として低きに流れて来るぞ、自分が自分に騙だまされん様に心して下されよ、善悪を決めて苦しんで御座るぞ、世界の片端かたはし浜辺はまべからいよいよが起こって来たぞ、夜明け近づいたぞ


第十七帖(927帖)

今までの、逃のがれ場所はヤマ山であったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミのみ旨むねの中であるぞ、山に移って海に入れと申してあろう、今度の事ぞ


第十八帖(928帖)

この神示ふでは神と竜神と天人てんじん天使と人民達に与えてあるのじゃ、天界での出来事は必ず地上に移って来るのであるが、それを受け入れるその時の地上の状態によって、早くもなれば遅くもなり、時によっては順序も違うのであるぞ、人民は近目であるから色々と申すなれど、広い高い立場で永遠の目でよく見極めて下されよ、寸分すんぶんの間違いも無いのであるぞ、これが間違ったら宇宙は粉微塵こなみじん、神は無いのであるぞ


第十九帖(929帖)

天人天使の行為が人民に映るのであるなれど、人民の自由、能力の範囲に於ける行為はまた逆に、天界に反影はんえいするのであるぞ、日本と唐からと土地が違う様に、日本人と唐人からひととは違う、天界の映り方も違うのであるぞ、同じ日本人でも時と所によって違う、肌の細かい絹きぬと荒壁に映る映画は同じでも、少しずつ違う様なもの、違って映るのが誠であるぞ、同じ数でも123と一二三は違うのであるぞ、新しき世界に進む大切ごとじゃ、分かって下されよ


第二十帖(930帖)

今の学者には今の学しか分からん、それでは今度の岩戸開きの役には立たん、三千世界の岩戸開きであるから少しでもフトマニ(※神界の正しい順則)に違ってはならんぞ、廻りくどいようなれど、嫁とつぎの道から改めなされよ、出舟でふねの港は夫婦からじゃと申してあろう、ミトノマグアイでなければ正しき秩序は生れんぞ

素戔嗚命すさなるのみことが荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救い主の大神であることが分からねば岩戸は開けんぞ、新しき世界の宮は土地であるぞ、住所であるぞ、永遠に在おわす神は住む土地であるぞ、下には永遠の腕うでがあるぞ