第一帖(892帖)
この巻は龍音の巻、続く巻五は極みの巻、巻六は至恩の巻、巻七は五葉の巻ぞ、この五十いせ黙示の七巻は神、人共に与えたもの、一巻から続いたものぞ、同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ、合わせて三十巻これで岩戸までの神示の終わりぞ、前に出した黄金の巻からの七巻は人民に与えたものであるぞ
言ことやめて 草の片葉も陽ひにのび行かな
八十やそ隈手くまで行きにし神は今かえります
素盞鳴すさなるの命 しらせる海原うなばらぞやよ
天ヶ下あまがしたおつる くまなく照らす大神
高低たかひきの伊百理いおりかきわけ きこし召すらん
罪と言う罪はあらじな神の子なれば
ひふみ百千万ももちよろずと咲さきえます元つ太神おおかみ
八十伴男やそとものを百もも足り足りて仕えまつらん
行く水に清めて仕つこう極みの宮殿みあらか
言霊ことだまの栄さかゆる御歌みうたにはらいてましを
みそぎして祝う生命いのちぞ 弥栄ましませ
安国やすくにの瑞穂みずほの国と御しろし給たまいぬ
八重雲やえくもの十重雲とえくも千別ちわき千別き天降あもりぬ
千木ちぎ高知たかしり美頭みずの御殿みあらか咲えみ仕つかえなん
許々太久ここだくの罪はあらじな大岩戸あく
四方よもの国咲さきえみ集つどうらし真中の国に
よきあしき皆祓いませ科戸しなどの風に
第二帖(893帖)
八束穂やつかほの十束穂とつかほとこそ実らせ給たまえ、みかのはらみて、並べてぞ天地あめつちの座に御服みふく輝みそがし、明妙照妙和妙風あかてるにぎかぜのまにまに、巫かむなぎの大御心おおみこころのまま弥栄えむ、千木千木ちぎちぎし瑞みずの御舎みあらか仕えまつらむ、御宝前おんまえに宇豆うずの幣帛みてくらたたえまつ栄さかえ、大神の咲さきえみに弥栄ゆ生国足国いくくにたるくに、狭さき国は広く峻さかしき国は平らに、日のみかけ百島ももしま千島ちしまおつる隈くまなく青雲あおくものたなびく、極きわみ座ましきます宝座みくら甘菜辛菜あまなからな地くにの極みまで、生おひて尚なお生おゆ見はるかす四方よもの国みなえらぎ賑にぎわう
第三帖(894帖)
世界中が霊かかりとなると申してあるのは今の事であるぞ、かかっている世界自身分からなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ、世界を、日本を、自分をサニワせねばならん
目に見えん所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下
神もフトマニに従わねばならん、順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応する事はなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ
下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいるのであるから、その感応はきわめて強く、如何にも尤もっともらしく人民の目に映るものであるぞ、高度のものはその人民のミタマの如何によって、それと同一波調の神霊に伝達されその神霊の感応によって表現されるのであるぞ
特別の使命をもつ天使は最下級の霊界まで降りて来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ、また天使の霊が母体に宿り人民として生まれ来る事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人こうたんじんが沢山あるぞ
第四帖(895帖)
〇れい界と申しても神界と幽界とに大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分かれ、陽霊人、陰霊人とが居る、陽霊人は人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもっているぞ
高い段階から申せば善も悪も神界も幽界も無いのであるが、人民に頭で分かる様に申しているのであるぞ、幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ
第五帖(896帖)
幽界は人間界と最も深い関係にあり初期の霊かかりの殆ほとんどはこの幽界からの感応によることを忘れるでないぞ、霊かかりの動作をよく見極めればすぐ分かる、高ぶったり、威張いばったり、命令したり断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ
インチキ霊にかかるなよ、たとえ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう、迷信であっても、それを信じる人が多くなれば信じる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出す事があるから気付けておくぞ、無き筈はずのものを生み出し、それが又地上界に反影はんえいして来るのであるから心して下されよ、今の人民九分九厘くぶくりんは幽界との繋がりを持つ、胸に手を当ててよくよく自分をサニワせよ
第六帖(897帖)
霊的良識りょうしきは神示ふでや神典類によって、又また体験によって養われ、又高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん、幽界の霊であっても高度のものとなれば、神界の高級霊と区別することが難しいぞ、初歩のサニワの誤り易いところであり、また霊眼れいげんする者の誤り易いところ、注意しなければならん、例えば霊光れいこうの如きものも強く大きくて、中々にサニワ出来ないぞ
第七帖(898帖)
仙人と申すものはいかに高度なものであっても、それは幽界に属す、仙人界には戒律があるからぞ、神界には戒律は無し、戒律ある宗教は亡びる、誠の宗教には戒律は無いぞ、しかし神界にも仙人的存在はあるぞ
第八帖(899帖)
竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して、神界に属すると早合点はやがてんならん
第九帖(900帖)
霊界に住むものは多くの場合、自分の住む霊界以外の事は知らぬ、その霊界が総すべての霊界であるかの如く思うものであるぞ、同じ平面上につながる霊界の事は大体見当つくのであるなれど、段階が異なって来ると分からなくなるのであるぞ、他の霊界は霊自身のもつ感覚の対照とならないからである
人民界の事をよく知っている霊は人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでいた動物霊か、人民に憑依していた霊であるぞ、特別な使命をもつ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは日本では天狗てんぐ的、神的、仙人的、狐きつね的狸たぬき的、猫的などが大部分であるから、気つけおくぞ
第十帖(901帖)
人間の肉体に他の霊が入って、自由にしているのだと多くの霊覚れいかく者やサニワが信じているなれど、事実そう見えるなれど、それは誤りであるぞ、人間の肉体は原則として、真理の宿り給たまう神の生宮いきみやであるから、下級霊は中々に入ることは出来ん
例外はあるなれど肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念そうねんは時によって動物的、幽界的となるものであるから、それと同一波調の動物的霊が感応かんのうする感応はあるが、肉体の内部までは入り込めない、しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのである、先祖霊も大体同様であるぞ
第十一帖(902帖)
霊には物質は感覚の対照とはならない、霊には人間の肉体は無いのと同じである、祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意せよ、動物霊が何故なぜ祖先の事を知るかと申せば、その憑依ひょういの対象となる人間の肉体霊の知っていることを直ただちに知り得るからである
第十二帖(903帖)
動物霊が人間の言葉を使うことは腑ふに落ちないと申す者が沢山あるなれど、よく考えて見よ、例えば他人の家に入ってそこにある道具類をそのまま使用するのと同じ道理どうりじゃ、分かったか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉をある程度使いこなせるのであるぞ、故に日本人に感応すれば日本語、米人なれば英語を語るのであるぞ
今の偉い人民がこの神示を読むと、理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、下級霊の所産しわざだと断だんずるなれど、それは余りにも霊界の事を知らぬ、霊的白痴はくちであることを自分で白状しているのぞ、気の毒じゃなぁ、ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ分からん事になるぞ
第十三帖(904帖)
時に例外として人間の魂と動物の魂と入れ替わっていることもあるぞ、この場合は肉体に入り込んだと考えてよいぞ、こういう場合例えば、それが狐きつねならば狐の様相を露呈ろていするから誰にでもすぐ分かるなれど、悪行を積んだ霊ともなれば、巧みにその時代時代の流れに合わせて化けているから中々見破ること難しいぞ、心得なされよ
ある種の霊は自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い、人間が知らぬ世界の事を自信をもって強く告げられると多くのサニワは参ってしまうぞ
第十四帖(905帖)
幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それはただ申すだけであるぞ、悪人が口先だけで善を語る様なものであるぞ、良い事を語ったとて直ちに善神と思ってはならん、良い言葉ならばたとえ悪神が語っても良いではないかと申すものもあるなれど、それは理屈じゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでも良いではないかと申す事ぞ
真の善言真語は心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ、偽いつわりの言葉は落ち着いて聞けばすぐ分かるぞ、同じハイと言う返事でも不満を持つ時と喜びの時では違うであろうがな、我われは天照太神あまてらすおおみかみなり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語たいげんそうごする人民は眉唾まゆつばもの
第十五帖(906帖)
サニワは場合によって霊媒れいばいを誘導しても良いぞ、また霊に向かって常に愛を持って接しなければならんぞ、誰でも絶えず霊界との繋つながりがあり霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け導くように努力しなければならんぞ
第十六帖(907帖)
はじめに出て来る霊は殆ほとんど下級霊であるぞ、玄関に先まず出て来るのは玄関番であるぞ、祖霊の出る場合は何か頼みたい場合が多いぞ、浄化した高級霊ともなれば人民に分かる様な感応はほとんど無いぞ
第十七帖(908帖)
霊の要求じゃと申してそのまま受け入れてはならんぞ、よく判断した上で処理せねばならん、下級霊、動物霊の場合は酔いどれのように箸はしにも棒ぼうにもかからんことを申すものぞ、特にその霊が病気に関連を持っている場合は微妙であるからよく心得なされよ
悪い企て悪い行為じゃとて直ちにキメつけてはならん、やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、悪を嫌う心があってはならん、悪抱き参らせと申してあろうがな、邪道的要求を容れて一時的に病気を治すとそれに倍してブリ返すぞ、この呼吸大切
第十八帖(909帖)
霊に⦿ひつく神示を読んで聞かせて見よ、その偉大さがハッキリ分かるぞ
どんな下級霊であってもその霊を馬鹿にしてはいけない、馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末に負えぬ事になるぞ、霊覚れいかく者や行者の中には奇跡的な事や非常識な行動をする者がよくあるぞ、一般の人民はそれに騙だまされる事がよくあるぞ、いずれも下級霊の仕業しわざであるぞ、正神せいしんには奇跡は無い、奇跡ない事が大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる、高級霊は態度が立派であるぞ、分かったか
第十九帖(910帖)
霊の発動を止とめて静かにする方法は「国常立大神守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、または「素盞嗚大神守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、または「太日月地大神守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、世界そのものの霊かかり、日本の霊かかりを早く鎮めんと手に負えん事となるが見事な事を致してお目にかける