第一帖(772帖)
なりなりてなりあまれるところもて、なりなりてなりあわざるところを塞ぎて国産みせなならんぞ、この世の国産みは秘答通ひとつ面おもてでしなければならん、みとのまぐわいでなくてはならんのに、面おもてを一つにしているではないか、それでは今度の事は、成就じょうじゅせんのであるぞ
第二帖(773帖)
奇数と奇数を合わせても偶数、偶数と偶数を合わせても偶数であることを忘れてはならん、奇数と偶数を合わせてはじめて、新しき奇数が生まれるのであるぞ、今度の岩戸開きにはヒルコ生むでないぞ、淡島あわ生むでないぞ
第三帖(774帖)
今度は八の隈くまでは足らん、十の神を産まねばならんぞ、そのほかに、隠れた二つの神、二つの隈を産みて、育てねばならん事になるぞ
第四帖(775帖)
あめのみなかぬしのその前に、あめゆずる日、あめのさぎりのみことあるぞ、くにゆづる月、地くにのさぎりのみことあるぞ、元の元の元の神様であるぞ、その前に「・」あることを忘れるなよ
第五帖(776帖)
十くさ、十二くさの神宝かんだから、おきつ鏡、へつ鏡、八つかの剣つるぎ、九つかの剣、十とつかの剣、いくたま、まがるかえしのたま、たるたま、ちかえしのたま、おろちのひれ、はちのひれ、くさくさのひれ、であるぞ
む、ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり、う、であるぞ、う、たり、ここ、や、なな、む、いつ、よ、み、ふた、ひと、む、であるぞ、唱となえよ、宣のりあげよ
第六帖(777帖)
あまてらすおおかみはたかあまのはらをしらすべし、また、たかあまのはらをしらすべし、また、たかあまはらをしらすべし、つきよみのおおかみは、あまてらすおおかみとともにあまのことをしらすべし、また、あおうなはらしおのやおへをしらすべし、また、よるのおすくにをしらすべし、すさのおのおおかみはあおうなのはらをしらすべし、また、あおうなはらをしらすべし、また、あまがしたをしらすべし
第七帖(778帖)
大奥山は神人かみひと交流の道の場である、道は口で説くものではない、行ずるものである、教えは説かねばならない
多数決が悪多数決となる訳わけが何故に分からんのじゃ、投票で代表を出すと殆どが悪人か狂人であるぞ、世界が狂い、悪となり人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々ますます混乱して来るのであるぞ
それより他に人民の得心えしん出来る道は無いと申しているが、道はいくらでもあるぞ、人民の申しているのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体に綾あやなせば弥栄えて真実の道が分かるのじゃ、じゃと申して独裁ではならん、結果から見れば神裁しんさいじゃ、神裁とは神人交流によることぞ
神は嘘つきじゃと申しても、悪い予言は嘘にしたいので日夜の苦労、堪こらえるだけ堪えているのであるぞ、もう、物ばかりでは治まらんこと、金では治まらんこと、平面のみでは駄目であることよく分かっているのに、兜を脱げん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構
遠くからでは分からんし、近づくと迷うし、理屈捨てて神にホレ参らせよ、よくこの神を騙してくれたぞ、この神が騙されたればこそ太神の目的なって来るのじゃ、細工は流流りゅうりゅう仕上げ見て下されよ
区別すると力出るぞ、同じであってはならん、平等でなくてはならんが区別なき平等は悪平等である、天に向かって石を投げるような事は早く止めねばならん
霊懸がかりも止めて下されよ、人民が絶対無むと申しているところも絶対無ではない、科学を更に浄化弥栄やさかさせねばならん
空間、時間が霊界に無いのではない、その基準が違うから無いと考えてよいのである
いろいろな団体を作ってもよいが、いずれも分れ出た集団、一つにしてはならん、奥山は奥山と申してあろう、奥山は有って無きもの、無くて有る存在である、奥山と他のものと混ぜこぜまかりならん、大き一つではあるが別々ぞ、今までになかった奥山のあり方、分からんのも無理ないなれど、これが分からねばこの度の大神業おおかみわざ、分かりはせんぞ
第八帖(779帖)
神の御用は神のみことのままでなくては成就せん、もっと大き計画持って持ちて御座ござれ、着手は出来るところからぞ、掴つかめる所から神を掴めよ、部分からつくり上げなされよ
我がを出してはならん、天狗てんぐではならん、そなたは我がでいつもしくじっているでないか、心出来たら足場固めねばならん、神の足場は人じゃ、三千の足場、五千の足場、皆々釈迦ぞ、キリストぞ
第九帖(780帖)
気の合う者のみの和は和では無い、すべてが神の子じゃ、色とりどりの組み合わせ練り合わせこそ花咲くぞ、大き心、広き心、長い心結構、大神の中で弥栄ぞ
中々に合わんと申すなれど、一つ家族でないか、心得なされよ、夫婦喧嘩けんかするでないぞ、夫のみいかんのでないぞ、妻のみ悪いのでないぞ、お互いに己おのれの姿を出し合っているのぞ、よく会得えとくせよ
アホになれよ、分からん事が更に分からん事になるぞ、聞きたいことは何でも聞けよ、大グレン目の前、一先ずひとまずは月の代よとなるぞ、ひっくり返り、ビックリじゃ
第十帖(781帖)
一いちはいくら集めても一じゃ、二も三も四も五も同様ぞ、0れいにかえり、0によって結ばれるのじゃ、0が結びぞ、弥栄ぞ、喜びぞ
第十一帖(782帖)
病む事は神から白紙の手紙を頂いたのじゃと知らせてあろう、その白紙の手紙を心して読めよ、ありがたき神からの手紙ぞ、疎おろそかにしてはならん、腹八分、二分は先ず捧ささげよ、運開けるぞ、病治るぞ
第十二帖(783帖)
逃げ道を作ってから追わねばならん、そなたは相手の逃げ道を塞ふさいでギュウギュウ追いつめるから逆恨みされるのじゃ、逆恨さかうらみでも恨みの霊団を作り出すぞ、悪を抱けよ、消化せよ、浄化せよ、何もかも太神おおかみの許し給たまえるものなるが故に存在する
そなたは神にこり固まっているぞ、こり固まると動き取れん事になる、一度そなたの持つ神を捨てると良いぞ、捨てると掴めるぞ
第十三帖(784帖)
木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿っているぞ、人間や動物ばかりでなく総てのものに霊が宿っているぞ、宿っていると言うよりは、霊と体とで一つのものが出来上がっているのであるぞ、一枚の紙の裏表の様なもの、表ばかりのものも無い裏ばかりのものも無い道理、数字にも文字にもそれぞれの霊が宿って居り、それぞれの能はたらきをしているのであるぞ、順序が分かれば初段、和に徹すれば名人
第十四帖(785帖)
流れ出たものは又また元に帰ると申しても、そのまま帰れないのであるぞ、天から降った雨がまた元に昇るには形を変えるであろうが、この道理を弁わきまえんと悪神あくがみ懸かかりとなるぞ、それはそなたの自己慾じこよくから出ているのぞ、自己慾もなくてはならんが段々浄化して行かねばならん、自己欲を浄化して大きな自己の慾とせよ、自分のみの慾となるから弥栄えんのじゃ、弥栄えんものは神の御心みこころに逆行
自分で判断出来る事を何故に聞くのじゃ、神に聞けば神に責任を着せるのと同様ぞ、人間の悪い癖くせぞ、出直せよ
第十五帖(786帖)
与える事は頂く事じゃと申しても度を過ぎてはならん、過ぎると過ぎるものが生まれて、生んだ自分に迫って来るぞ
第十六帖(787帖)
五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ、㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋓㋾ぞ、㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ、この九柱は〇ぞ、心得なされよ、現われの五十柱の陰かげの、隠れた九柱心して大切せよ
真直に真上に神を頂くと申す事は上ばかりではないぞ、真下にも横にも前後にも立体360度に真直ぐに、神を頂かねばならんと言う事ぞ、神人交流の第一歩
第十七帖(788帖)
そなたの仕事は思い付き結構であるが、神の御意志を頂かねば成就じょうじゅせん、神と申しても、そなたが勝手に決めた神や、宗教で固めた制限された神ではないぞ、分かっただけでは駄目ぞ、行ぎょうじねばならん、生活しなければならん、芸術しなければならん
第十八帖(789帖)
現実的には不合理であっても不合理にならぬ道を開くのが、霊現れいげん交流の道であり、立体りったい弥栄の道、行き詰りの無い道、新しき世界への道である、平面のみではどうにもならん時となっているのに、何をして御座ござるのか、黒船にびっくりしては間に合わん
第十九帖(790帖)
釈迦、キリスト、マホメット、その他世界の生命ある教祖及び、その指導神をみ光ひかりの大神様と称たたえまつれと申してあろうが、大神様の一つの現われぞと申してあろうが、何故にみ光の大神様と斎いつき祀らんのじゃ、宗教しないのじゃ、そこにひかり教会としての力が出ないのじゃ
人民の苦瀬うきせに悩むのを救うのは、オホカムツミの神であるぞ、この能はたらきの神名を忘れてはならん、この方はオホカムツミの神とも現われるぞと知らせてあること忘れたのか