第一帖(717帖)
与えられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽に行けるよう暮らし向きも楽し楽しで暮らせるようになっているぞ、あり余る程与えてあるでないか、生かして使えよ、生活になぜアクセクするのじゃ、与えてあるもの殺すから自分も死の苦しみするのじゃ
有限でなければモノは顕あらわれないぞ、モノに顕わすと有限となるのじゃ、総てに感謝せよと申してあろうが、総すべてのものにそれ相当の意義あるぞ、全体的には喜びせねばならん、愛をもって接しなければならん、信をおかねばならん、じゃと申して局部局部に於いてはそれぞれその時に応じて処理せねばならん、只ただその場合はゆとりもって処理せよ、綱つな長くしておかねばならん
第二帖(718帖)
「・」 がよろこびであるぞ、また・の・はムでもあるぞ、内から外に向かって行くのが⦿のやり方、外から内に向かって行くのが「がいこく」のやり方、〇から・に行くのは、マコトの逆であるからマコトのことは分からん、外から行く宗教や哲学や科学が、元を分からなくしているのじゃ、元分からんで生きのいのちの分かる筈はずないぞ、今の世は逆様じゃ
先祖から正せよ、原因から正して行かなならんぞ、⦿から出て・にかえり、無限より出て有限に形し、有限から無限にかえり、また有限に動くのがマコトのやり方であるぞ、マコトの理解者には甘露かんろの水ぞ
第三帖(719帖)
人間は神と共に自分自身で生長せいちょうして行かなならん、人間から見れば全智全能の神あるのであるぞ、この事よく分かって下されよ、マコトの理解と迷信との別れる大切事ぞ
第四帖(720帖)
何神様とハッキリ目標つけて拝めよ、ただぼんやり神様と云いっただけではならん、大神は一柱であるが、現われの神は無限であるぞ、根本こんぽんの太おおひつき大神様と念じ、その時その所に応じて、特に何々の神様とお願い申せよ
信じ合うものあれば病気もまた楽しく、貧苦もまた楽しいのであるぞ、例外と申すのは無いのであるぞ、他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起こる事象が、例外と見えるのじゃ、心大きく目ひらけよ
第五帖(721帖)
なりなると申してあろうが、なると申すのは内分は同じであるが、形の変わることであるぞ、ウムとナルとは同じであって同じで無いぞ
第六帖(722帖)
ほんとうにモノを見、聞き、味わい、消化して行かなならんぞ、地の上にあるもの、人間のすること、その総すべては霊界で同じことになっていると申してあろうが、先ず霊の動き大切、霊の食物、霊の生活求める人民少ないのう、これでは片輪車、いつまでたってもドンテンドンテンじゃぞ
そのものを見、そのものに接して、下肚したはらがグット力こもって来るものは、良いもの、本物であるぞ、キは総てのものに流れ込むもの、信仰は理智りち的にも求められる、完まっとき情けである、真理を理解するのが早道、確信となるぞ
第七帖(723帖)
神も人間も同じであると申してあろう、同じであるが違うと申してあろう、それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ、自分新しく生むときは、自分と同じカタのものを生む、大神弥栄なれば神も弥栄、神弥栄なれば人民弥栄ぞ
困るとか苦しいとか貧しいとか悲しいとか言う事ないのであるぞ、理みち踏めと申すのは生みの親と同じ生き方、同じ心になれよと申すことぞ、人民いくら頑張っても神の外には出られんぞ、神いくら頑張っても大神の外には出られんぞ
第八帖(724帖)
見えるものから来る幸福には限りがあるが、見えんものから来る幸福は無限ぞ、尽つきん喜びは常に神から
第九帖(725帖)
ウムと申すことは自分をより良く生長さすこと、一つ生めば自分は一段と上に昇る、この道理どうり分かるであろうがな、産むことによって自分が平面から立体になるのであるぞ
毎日一生懸命に掃除していてもどこかにホコリ残るものじゃ、まして掃除せん心にホコリ積もっていること位、誰にでも分かっているであろうが、神示で掃除せよ、大病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよいのか、信仰を得て霊的に病気を治すのは一瞬には治らんぞ、奇跡的に治るとみるのは間違い、迷信ぞ、時間も要り手数も要る、物も金も要る、大き努力要るのであるぞ、取り違い多いのう
第十帖(726帖)
過去も未来も中今、神も人間と同じで弥栄して行くぞ、悪い癖直さねば、いつまで経っても自分に迫って来るもの変わらんぞ、お蔭ないと不足申しているが、悪い癖、悪い内分を変えねば百年祈り続けてもお蔭無いぞ
理屈無しに子は親を信じるぞ、その心で神に対せよ、神が親となるのじゃ、目と口から出るもの、目の光と声とは実在界にも実力持っているのであるぞ、力は体験通して出るのであるぞ
第十一帖(727帖)
カタは形かたちをもたねばならん、念は語ることによって現われるのじゃ、・が無なればなる程〇は有となるのであるぞ、このことよく分かって下されよ、肚はらの中のゴモク(※汚いもの)捨てるとよく分かる
第十二帖(728帖)
キが元と申してあろうがな、人民は総てのもののキ頂いて成長しているのであるぞ、キ頂けよ、横には社会のキを、縦には神の気を、悪いキを吐き出せよ、よい気養って行けよ
「見分ける鏡与えてある」でないか、道分からねば人に聞くであろうが、分からんのに分かった顔して歩き廻っていてはならん、人に尋ねよ、これと信じる人に尋ねよ、天地に尋ねよ、神示に尋ねよ
第十三帖(729帖)
ウとムは相互いに相反あいはんするのであるが、これが一つになって動くウム組み組みてと申してあろうがな、今の人民の智では中々解けん、ウの中心はム、ムの廻りはウであるぞ、中心は無限、周辺は有限であること知れよ
第十四帖(730帖)
上に立つ程ほど働かねばならん、働いても力ちからは減らん、働くにはキ頂かねばならん、キから力ちから生まれるのであるぞ、働くと申して動くばかりでないぞ、動かんのも働き、動くのも働き、よく心得よ
寄せては返し生きているのであるぞ、始めの始めと始めが違うぞ、後になるほど良くなるぞ、終わりの中に始めあるぞ、祈り、考え、働きの三つ揃わねばならん
第十五帖(731帖)
生めば生む程自分新しくなり成り、大きくなる、人間は大神のウズの御子みこであるから、親のもつ新しき古きものがそのままカタとして現われていて弥栄やさかえている道理じゃ、人間の総てに迫り来るもの総てを喜びとせよ、努力せよ、モノ喜ばせばモノは自分の喜びとなり自分となる、心の世界は無限に拡がり生長するのであるぞ、神にとけ入って宇宙大に拡がるのであるぞ、神と共に大きくなればなるほど喜び大きくなるのである
一神いっしん説といて多神説かんのも片輪、多神たしん説いて一神説かんのも片輪、一神則多神則汎神はんしんである事実を説いて聞かせよ
第十六帖(732帖)
人民は神の入れものと申してあろう、神の・と人間の・と通じて居ればこそ呼吸するのじゃ、・と・と通じて居ればそれでよいのじゃ、神の・と人民の・と通じて居るならば、神の〇と人民の〇と同じ様にしておかねばならんと申すのは、人間の誤りやすい、いつも間違い起こす元であるぞ
神の〇と人間の〇と同じ様にしておくと思って、三千年の誤りしでかしたのじゃ、・と・と結んでおけば後あとは自由じゃ、人民には人民の自由あるぞ、神のやり方と自ら違うところあってよいのじゃ、天の理と人の理とは同じであって違うのだと知らせてあろう、心得よ
第十七帖(733帖)
神の姿は総てのものに現われているぞ、道ばたの花の白きにも現われているぞ、それを一度に全てを見せて呑み込ませてくれと申しても分かりはせんぞ
分かるところから気長に神求めよ、総ては神から流れ出ているのであるから、神にお願いして実行しなければならん、この分かり切った道理、疎おろそかにして御座るぞ、そこに天狗てんぐ出ているのぞ
第十八帖(734帖)
自分が自分生むのであるぞ、陰と陽とに分かれ、更に分かれると見るのは人間の住む次元に引き下げての見方であるぞ、陰陽分かれるので無いこと、元の元の元の誠の弥栄知れよ
第十九帖(735帖)
その人その人によって食べ物や食べ方が少しずつ違う、身体に合わんもの食べても何もならん、かえって毒となるぞ、薬が毒となることあると気つけてあろうが
ただ歩きまわっているだけではならん、ちゃんと目当てつくって、良い道を進んで下されよ、飛行機あるのに馬に乗って行くで無いぞ、額ひたいに先ず気集めてハラでものごと処理せねばならんぞ、形ある世界では形の信仰もあるぞ、偶像崇拝ぐうぞうすうはいじゃと一方的にかたよっては誠は分からんぞ
第二十帖(736帖)
人民の智の中に現れて来る時はもはや大神では無いぞ、神であるぞ、原因の原因は中々見当とれん
第二十一帖(737帖)
始めは形あるものを対象として拝むのもよいが、行き詰まるのは目に見える、世界のみに囚われているからぞ、タテの繋がりを見ないからであるぞ
死んでも自分は生きているのであるぞ、大我たいがに帰したり、理法りほうに融け入ったりして自分と言うもの無くなるのでないぞ、霊界と霊と、現界と現身との事はくどく説いてあろうが、神示読め読め、大往生の理みち弥栄に体得たいとく出来るのであるぞ、霊と体と同じであると申しても人間の世界では別々であるぞ、内と外、上と下であるぞ、取り違いせん様にして下されよ
第二十二帖(738帖)
つくり主とつくられるものとでは無限に離れて行くのじゃ、和無いぞ、和の無いところ天国無いぞ、こんな分かり切ったこと何故に分からんのじゃ
尻の毛まで抜かれていると申してあろう、早く目覚めよ、悪の道や教えにまだ迷って御座るが、早く目覚めんと間に合わんぞ
第二十三帖(739帖)
無限のものと有限のものとムとウとを混ぜ混ぜにして考えるから、人民の頭は兎角とかくウになりがちじゃぞ、慾よくを浄化せよ
第二十四帖(740帖)
すべて世の中の出来事はそれ相当に意義あるのであるぞ、意義ないものは存在許されん、それを人間心で邪じゃと見て悪と感じるから、狭い低い立場でいるから、いつまで経ってもドウドウめぐり、それを毒とするか薬とするかは各々の立場により考え方や処理方法やいろいろの運び方によって知るのであるから心せねばならん、今に一生懸命になって下されよ
第二十五帖(741帖)
二十二ふとまにの様に知らせるぞ、神の仕組みは間違い無し、どしどしと運べよ