第一帖(657帖)

新しき御代の始めのタツの年、スメ大神の生まれ出で給いぬ、皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからじゃと申してあろうが、始めの始めと始めが違うぞ、皆始めヒからじゃ、赤児になって出直せよ

ハラで見、ハラで聞き、ハラで話せよ、ハラには間違いないのじゃ、祈りばかりでは祈り地獄、神から光頂ける様に理みちつけねばならん、水は低きに流れるぞ、喜びに叶かなう心、喜びの行あるところ喜び来るのじゃ

喜びにも正しきと曲がれるとあるぞ、無限段階あるのじゃ、心して迷わん様に致してくれよ、ここは光の理みち伝え行う所、教えで無いと申してあろう、教えは教えに過ぎん、理みちでなくては、今度はならんのじゃ、天の理、地の理もろもろの理、カタ早く急ぐぞ、教えは局部的、時、所で違うのじゃ、迷信となるぞ、ハラが神であるぞ


第二帖(658帖)

カミヒトと申すのは神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り実践する人のことであるぞ、神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのじゃ、自分のためばかりで祈れば迷信、我よしの下の下ぞ

誰でも霊かかりであるぞ、石でも木でも土でも霊かかりぞ、これは一般かみかかりであるぞ、特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのじゃ、九分通りしくじるのじゃ、太陽の光集めること知っているであろうが

神の理みちをより良くより高く集める理がマコトの信仰であるぞ、理みちであるぞ、世が迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのじゃ、悪かみかかりに迷うでないぞ、サニワせよ、外はウソが多いぞ、内の声ウソないぞ


第三帖(659帖)

節分祝詞せつぶんのりと

掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清すがの中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立とこたちまし、大九二おおくにの十九立大神、十四九百とよくもヌ、十四とよの大神、瀬織津せおりつのヒメの大神、速秋はやあきの秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良さすらヒメ神、これやこの、太日月、皇神すめかみ御前畏み、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコトを、伊行く水。

流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜よさの、梓あずさの弓の、今とわや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威みいつに、つらつらや、思い浮かべば、天地の、始めの時に、大御祖神おおみおや、九二十九立くにとこたちの大神伊おおかむい、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海わたつみの、塩の八百路やおじの、八汐路やしおじの、汐の八穂やお合い、洗われし、弧島の中の、籠こもらいし、籠り玉いて、畏くも、この世かまいし大神の、時めぐり来て一筋の、光の御代と出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏み、御饌御酒みけみきを、ささげまつりて、海山野、種々珍くさぐさうずの、みつぎもの、供えまつりて、かごちもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕えん、まつらまく。

生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しける、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりましし、神直日かむなおび、大直日おおなおびにぞ、見伊みい直し、聞き直しまし、祓いまし、清め玉いて、清清し、清すがの御民みたみと、きこし召し、相諾あいうずないて、玉えかし、玉はれかしと、多米津ためつもの、百取ももとり、さらに、百取の、机の代しろに、足らはして、横山の如、波の如、伊盛いもり栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こいのみまつる、畏みて、まつらく白す、弥つぎつぎに、新玉あらたまの、玉の御年みとしの明けそめて、罪もけがれも今はあらじな。

節分の祝詞であるぞ、太のりとせよ、いよいよの年立ちそめたぞ、うれしうれしの御代来るぞ


第四帖(660帖)

img_20131127-025938.gifがよろこびであるぞ、img_20131127-025953.gifも喜びであるぞ、よろこびにも三つあるぞ、img_20131127-030008.gifは表、img_20131127-030019.gifは裏、表裏合わせてimg_20131127-025847.gifぞ、img_20131127-025917.gifは神であるぞ、神であるなれど現われの神であり、現われの喜びであるぞ、img_20131127-025824.gifのもとが⦿であるぞ、キであるぞ、元の元の太元の神であるぞ、△(む)であるぞ、△(む)から▽(う)生まれ、▽(う)から△(む)生まれるぞ、同じ名の神二つあると申してあろうが、表の喜びが・、愛、真、善、美となり現われ、裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜が現われるのじゃ、喜びが神じゃと申して裏の喜びではならんぞ、今の人民の喜びと申すには裏の喜びであるぞ、悲しみを喜びと取り違えているぞ、この巻、春の巻、こまかに説いて分かり易く説いて聞かすぞ、分ければそれだけ小さくなるなれど


第五帖(661帖)

人民栄えて行くことは、神弥栄のことぞ、神も人民も、世界も、宇宙も、総ていつまでも未完成ぞ、神様でも大神様は分からんのであるぞ、只喜びに向かってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ、正しき喜びを先ず見極めよ、見極めてひたすらに進めばよいのじゃ、食物を食べるのも喜びであるぞ、正しき食物正しく食べよ、更に喜び増えて弥栄るのじゃ、自分の喜びを進め進めて天国へ入る事出来るのじゃ、悪い食物悪く食べるから悪くなるのじゃ、目に見える食物ばかりでないぞ、何もかも同様ぞ、人民は喜びの子と申してあろう、罪の子でないぞ、嬉し嬉しの道あるのに、何故歩まんのじゃ


第六帖(662帖)

喜びが ・、真、善、美、愛と現われ、それが又、喜びとなり、又、 ・、真、善、美、愛となり、又現われ、限りないのじゃ、喜びの本体はあの世、現われはこの世、あの世とこの世合わせて真実の世となるのぞ、あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ、あの世とこの世と合わせ鏡、神はこの世に足をつけ衣とし、人はあの世を⦿として、心として生命しているのじゃ、神人と申してあろうがな、この十理どうりよくわきまえよ、この世にあるものの生命はあの世のもの、あの世の生命の衣はこの世のもの、くどいようなれどこのこと肚の中に、得心なされよ、これが得心出来ねばどんなに良い事しても、まこと申しても何もならん、ウタカタじゃぞ。時節来たのじゃから、今までの様に一方だけではならんぞよ


第七帖(663帖)

言分けて書きおくから、迷わん様に、人民の理みち歩んでくれよ、何も彼も嬉し嬉しとなる仕組み、人民に禍わざわい無いのじゃ、不足無いのじゃ、いつも楽し楽しの歌で暮らせる仕組みじゃぞ、と申して、心で分かっても、今の人民には分かるまいから、更に言分けて、こまかに説いて聞かすぞ、理みちしるべをつくりおくぞ、これがよろこびの理じゃ、人民のいのちを正しく育てることが一番の喜び、人民と申す者は神の喜びの全まっとき現われであるぞ、いくら穢れても元の神の根源神のキをうけているぞ、それを育てることじゃ、導くことじゃ、死なんとする人助けるのもその一つじゃ、宿った子殺すことは、人民殺すことじゃ、今の人民九分九厘は死んでいるぞ、救え、救え、救え、おかげは取り徳じゃ、生かせよ。生かせよ、生かす理みちは神示読むことじゃ


第八帖(664帖)

人民を褒めることよい事じゃ、褒めて、その非をさとらせよ、罪許すことじゃ、もの生かすことじゃ、生かして使うことじゃ、神示ふでひろめることじゃ、やって見なされ、必ず嬉し嬉しとなるぞ、栄えるぞ、嬉しくなかったら神はこの世に居らんぞよ、神示は一本道じゃ、始めからの神示読んで、よく読んで見なされ、何も彼もハッキリしてくるぞ、神示うつして下されよ、世界にうつすこと喜びぞ、地に天国うつすことぞ、難しい事ないぞ、今の裏のやり方、ひっくり返して、表のやり方すれば、それでよいのじゃ、裏は裏として生きるのじゃぞ、金は使うもの、使われるものでないこと分かって居ろうがな、御苦労のこと止めなされよ


第九帖(665帖)

人民には分別与えてあるから、反省出来るのであるぞ、反省あるから進展するのであるぞ、放っておいても、要らんものは無くなり、要るものは栄えるのであるが、人民の努力によっては、より良くなるのじゃ、省みねば生まれた時より悪くなると申してあろうが、慾、浄化して喜びとせよ、喜び何からでも生まれるぞ、広い世界に住めば広く、深い世界に住めば深く向上する、物の世界から霊の世界へ、無限の世界へ入るから無限の生命が与えられるのじゃ、無限の喜び得ること出来るのじゃ、無限世界とは物と霊との大調和した限り無き、光の世界ぞ、真理を知る事が、無限を得る事、まことの神を掴むことぞ、良いもの作るには大き手数かかるのじゃ、懐手ふところでで居ては出来ん、手出せ、足出せよ


第十帖(666帖)

一切のものはimg_20130919-194531.gifうずであるぞ、同じ事繰り返してくいる様に人民には見えるであろうなれど、一段づつ進んでいるのであるぞ、木でも草でも同様ぞ、前の春と今年の春とは、同じであって違って居ろうがな、行き詰まりが有り難いのじゃ、進んでいるからこそ、行き当たり行き詰まるのじゃ、省みる時与えられるのじゃ、悟りの時与えられるのじゃ、ものは、離すからこそ掴つかめるのじゃ、固く握って戸閉めていてはならんのう、扉を開けておけと申してあろうが、着物を脱いで裸体となること辛つらいであろうなれど、脱がねば新しき着物は着られんぞ、裸になってブツカレよ、神様も裸になってそなたを抱いて下さるぞよ、重い石のせたタクアンは美味うまいのであるぞ


第十一帖(667帖)

内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ、先祖疎おろそかにするでないぞ、先祖まつることは自分まつる事ぞ、外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ、肉体霊も外の自分であるぞ、信じ切るからこそ飛躍するのじゃぞ、不信に進歩弥栄無いぞ、任せ切るからこそ神となるのじゃ、神に通じるのじゃ、他力で自力であるぞ、真剣無ければ百年経っても同じ所ウヨウヨ、一歩も進まん、進まんことは遅れていることぞ、真剣なれば失敗しても良いと申してあろうが、省みる事によって更に数倍する事が得られるのであるぞ、いい加減が一旦成功しても土台無いからウタカタじゃ、下座の行、大切


第十二帖(668帖)

無くて七癖、七七、四十九癖、悪い癖を直して下されよ、天国へ行く鍵ぞ、直せば直しただけ外へ響くものが、変わって来るぞ、良くなって来るぞ、変わって来れば外から来るもの自分に来るもの変わって来るぞ、良くなって来るぞ、幸いとなるぞ、喜び満ち満つぞ、神満ち満ちて天国じゃ、一升枡マス持って来て一斗いっと入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升枡には一升しか入らんから大き枡マス持って来い、頂くには頂くだけの資格要るぞ、一歩づつ進め、一歩づつ絶えず進めよ、それより外に道は無いのじゃ


第十三帖(669帖)

自分は良いが世の中が悪いのじゃと申しているが、その自分を省みよ、自分が神の理みちにあり真実であるならば世の中は悪くないぞ、輝いているぞ、自分に振りかかって来る一切のものは最善のものと思え、如何いかなる悪い事もそれは最善のものであるぞ、この道理よくわきまえて下されよ、真の神を理解すれば、一切の幸福得られるのじゃ、世を呪うことは自分を呪うこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと、このこと悟れば一切はそこからひらけ来るぞ、十のもの受けるには十の努力


第十四帖(670帖)

どんな草でも木でもその草木でなければならん御用あるぞ、だから生きているのじゃ、そのはたらき御用忘れるから苦しむ、行き詰まる、御用忘れるから亡びるのじゃ、個人は個人の一家は一家の国は国の御用がある、御用大切、御用結構、日本が変わって世界となったのじゃ、自分の為ためばかりの祈りには自分だけの神しか出て来ない、悪の祈りには悪の神、善の祈りには善の神、始めの間は中々分からんものじゃ、神様のなされるマネから始めて下されよ


第十五帖(671帖)

思う様にならんのは、天地の弥栄、生成化育にあずかって働いていないからぞ、今の世界の行き詰まりは世界が世界の御用をしてないからじゃ、神示ふで読めよ、秘文ひふみ世界に写せよ、早く写せよ、人間の智のみでは世界は良くならん、裏側だけ清めても総体は清まらん、神に目覚めねばならん、神にも内のものと外のものとがある、愛と申せば何でもよいと思っていてはならん、愛の悪もあるのぞ、総てはこの通りじゃ、上の、より高いところから来るから奇跡と見え、偶然と見えるのじゃ、神からの現われであるから、その手順が分からんから偶然と見えるのじゃぞ、偶然の真理悟れと申してあろう、これが分かれば大安心立命


第十六帖(672帖)

あなた任まかせは良い妻と申してあろうが、神任せが良い人民であるぞ、この神と認めたら理解して、任せ切れよ、真の信仰の第一歩ぞ、太元おおもとの神様にホレ参らせよ、雨降らば雨を、風吹けば風を一ひと先ず甘受せよ、甘受した後、処理して行かなければならん、受け入れずにハネ返すのは大怪我のもと、何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならん事になるぞ、何か迫り来るのは何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ、内にあるから外から迫るのじゃ、自分で呼び寄せているのじゃ、苦しみの神、因果の神を呼んでおいて、不足申している者多いのう、自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返す手はあるまいのう、同じものでも表からと裏からとでは違うのじゃ、同じ目で見ても違って映るのじゃ、心得よ


第十七帖(673帖)

希望は愛の現われの一つ、希望は神ぞ、希望はどんな人にも与えられているのじゃ、希望に燃えつつ、現在を足場として生きよ、呼吸せよ、同じ事していても希望持つ人は栄え、希望無き人は亡びる、アイウエオからアオウエイの世に移って来るぞ、用意は良いか、アオウエイの世が天国じゃ、今の世は道具ばかりじゃ、使う人民を早くつくれよ


第十八帖(674帖)

使命が生命いのち神から命じられた事が生命いのちぞ、使命はつくられた時に与えられる、使命なくてものは生れんぞ、自分の使命は内に聞きつつ外に聞けよ、使命果たすが喜びぞ、使命果たすには生命がけでなくてはならん生命じゃからのう、努力した上にも努力しなければならんぞ、努力には苦もあるぞ、苦のない努力は無いぞ、右を動かせば左も動くぞ、果たせば苦は楽、果たさねば楽も苦、重荷あるからこそ苦あるからこそ、風にも倒れんのじゃ、神が主であるぞ


第十九帖(675帖)

小乗の行と馬鹿にするでないぞ、理屈で神を割り出したり、ソロバンでハジキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、どこまで行っても分かりはせんぞ、土耕す祈りに神の姿現われるぞ、留とどまってはならん、いつも弥栄弥栄に動いて行かなければならん、大中心に向かって進まねばならん、途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つじゃ、じゃと申して小の中心を忘れてはならん、神は順であるぞ、先ず小の神から進んで行けよ、本当の事知るには本当の鍛錬たんれん要るのじゃ、棚たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ、鍛きたえよ鍛えよ、鍛えればこそ光出て来るのじゃ


第二十帖(676帖)

任せ切ったと申して懐手ふところでならん、自力は大切じゃ、他力の中の自力じゃ、まつりは常住坐臥にあるぞ、拝むばかりではならん、拝むまつりはまつりの型じゃ、型から入るのが入り易いがこの程度の境地では戒律要るぞ、戒律の世界にいつ迄も居てはならん、型に囚われてはならん、十年経てば十才になるぞ、恩を知らねばならん、恩に報いねばならんぞ、人民は天地の恩忘れているから喜び少ないのじゃ、ものの順序わきまえねばならん、悪平等ならん、政治や経済は裏、二義的なもの


第二十一帖(677帖)

太一二キおおひつき大神としてこの神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ、無限であるぞ、その働きの名がもろもろの神様の名じゃ、このほう一柱であるが無限柱ぞ、総てが神であるぞ、一神じゃ、多神じゃ、汎神はんしんじゃ、総てが神じゃ、喜びじゃ、始めから全体を摑つかもうとしてもそれは無理と申すもの、手でも足でもよい何処でもよいから、摑める所から摑んで御座れよ、だんだん分かって来るぞ、全体を摑むには全体と同じにならねばならん、その人民人民の摑めるところから摑んで参れよ、このほう抱き参らせてやるぞ、マツリから出直せよ、天地を見よ、大きマツリ致して居ろうがな、霊と肉のまつり第一、頭とハラのまつり結構、二二のマツリ、出船の港じゃ、奥から来るものは喜びじゃ、念じゃ、力の元じゃ、生きの生命じゃ、神様にはハラを向けなさい


第二十二帖(678帖)

宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処どこを掴んで拝んでもよいのである、その何処つかんで、縋すがってもよいのであるぞ、水の流れも宗教ぞと申してあろう、総てに神の息、通っているぞ、一本の箸拝んでもよいのじゃ、ちゃんとめあて、決めねばならん、内の自分に火つけよ、心暗くては何も分からん、世の中は暗く見えるであろう、真っ暗に見えたら自分の心に光無いのじゃ、心せよ、自分光れば世の中明るいぞ、より上のものから流れて来るものに、祀まつって行くこと大切じゃ、それがまつりの元、それが宗教じゃ、宗教は生活じゃ、生活は宗教じゃ、裏と表じゃ


第二十三帖(679帖)

順と区別さえ心得て居れば何様を拝んでもよいと申してあろうが、日の神様ばかりに囚われると分からん事になるぞ、気付けおくぞ、それでは理にならん、父だけ拝んで母拝まんのは親不孝ぞ、お蔭ないぞ、お蔭あったらヨコシマのお蔭と心得よ、手だけ尊んではいかん、足だけ尊んでもいかん、一切に向かって感謝せよと申してあろうが、門もくぐらず玄関も通らずに奥座敷には行かれん道理、順序を馬鹿にしてはならんぞ、いつまで門に立っていても何もならん、お出直しじゃ、川がなければ水流れん道理、始めはカタふんで行かなならんぞ


第二十四帖(680帖)

自分捨てて他力なし、人民なくしてこの世の仕事出来ん、人民は道具じゃ、神は心じゃ、元じゃ、元だけではならん、道具だけではならん、大神は一切を幸し、一切を救い給うのであるぞ、一切が神であり一切が喜びであるぞ、その人民にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ、人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん、果たさねばならん、善人が苦しむ一つの原因であるぞ、神の大きな恵みであり試練であるぞ、分かったか、愛するものほど、その度が濃いほど魂が入っているのじゃ、先祖が大切していたものは大切せねばならんぞ、現界のみの理屈は通らんぞ、とんだ目に会うぞ、気をつけおくぞ、念じてから行え


第二十五帖(681帖)

局部的に見るから分からんのじゃ、文字書くのは心であるが、心は見えん、手が見えるのじゃ、手見るはまだよい方じゃ、筆の先だけしか見えん、筆が文字書いていると申すのが、今の人民の考え方じゃ、筆が一番偉いと思って御座るのじゃ、信仰に入った始めはよいが、途中から分からなくなるのじゃ、そこが大切ぞ、分からなくなったら神示ふで読めよ、キ頂いて甦よみがえるぞ、出足の港は二二の理みちからじゃと申してあろう、真理と申してあろう、これが乱れると世が乱れるぞ、神界の乱れイロからじゃと申してあろう、男女の道正されん限り、世界はちっとも良くならんぞ、今の世の様さまを見て早く改心、結構致しくれよ、和は力ぞ


第二十六帖(682帖)

神に任せきると申しても、それは自分で最善を尽くして後のことじゃ、努力無しに任せるのは悪任せじゃ、悪あくお任せ多いのう、魂の財産は金を得るより数倍難しいぞ、濡れ手で粟あわのやり方ではカス掴むぞ、むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからじゃ、めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからじゃ、愛は養わねばならん、夫婦は命がけで、お互いに築き合わねばならんぞ、夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ、生み出すのじゃ、つくり出すのじゃ、そこに尊さあるぞ、喜びあるぞ、左には宗教、右には芸術


第二十七帖(683帖)

八合目あたりに参ると総ての様子が、ほぼ見当つくぞ、それ迄は誰でもよく分からんもんじゃ、これと言う先達があったら、先達の言うこと、言う通りについて行けよ、おかしい先達は始めからおかしいぞ、苦労し、手をかけ、金かけるほど良いもの出来るぞ、信念を越えて、自分より上のものに任せ切ったのが理解であるぞ、信念だけでは何事も出来ん、確信は理解からぞ


第二十八帖(684帖)

親子、夫婦、兄弟姉妹と生まれても逆縁あるぞ、カタキ同志結ばれる事もあるぞ、それは神の大き恵みぞ、それに打ちかって新しき生命うみ出して仕えまつれ、体験無いところに宗教は無い


第二十九帖(685帖)

神から出るものは理りに決まっているぞ、この平凡の理みちの道理が何故に分からんのじゃ、得心出来んのじゃ、それに従えばこそ向上、弥栄するのじゃ、天狗だから慢心するから理がなくなるから行き詰まるのじゃ、一応は世界一家のカタ出来るのじゃがそれではならん、それを越えてねり直してマコトの一家となるのじゃ、天が上で地が下で、中に「・」あるのじゃ、それがミロクの世じゃ、気長にやれと申してあろう、長い苦心なければ良いもの出来ん、この世で出来終わらねばあの世まで持ち続けてもやり続けてもよいのじゃ、そなた達はあまりにも気が短いぞ、それではならんのう、誠の生活は永遠性持っているぞ、これ無いものは宗道でないぞ